ダンボ

言わずと知れたディズニー映画の代表作。大学の授業で取り上げたんだけど、未見だったのでDVD借りて観ました。しかしねー、DVDが時折音とびならぬ映像とびしてて、ストーリーの理解には支障をきたさないレベルだったけど、ちょっと観づらかったよ。

ダンボ [DVD]

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はじめてのものに触れるときは何であれワクワクするもので、ディズニー映画をほとんど観ずに育った私は、この年齢でのディズニーとの出会いにちょっとテンションが上がってしまった。特に、ダンボとティモシーが酩酊して見る幻覚=ピンクの象の大行進のサイケっぷり。あのイメージと色彩と音楽とがとめどなく連鎖していくかんじはとっても楽しい。コマの連続によって意味や物語を成していくだけではない、アニメーション表現の根源的なおもしろさがありました。

ダンボと母の交流を、言葉を一切使わず二つの鼻だけで描ききってしまうのも素晴らしかった。「ダンボ」は子ども向け映画といってもストーリーがなかなかに過酷で辛いんだけれど、このシークエンスはどこまでも甘くやさしくて、二人の束の間の幸せが画面から溢れ出てくるかのよう。互いの目すらも見えない中でのコミュニケーションに切なさが募った。

それから興味深く感じたのは、サーカスを「労働」として描いている点。夜通しテントを建てる黒人労働者だったり公演を終えて衣装を剥ぎ取るピエロだったり、この映画は夢を売る現場の裏側、実際に働いてる者の存在をはっきりと見せている。公演後の酒宴でピエロたちが「団長が給料を上げてくれるかも」と言うのが印象的だ。そんな中、黒人たちのテント張りに協力する象は、サーカスの動物たちの間でも特に厳しい労働を強いられた存在と言えるのかもしれない。象たちが雨に濡れながら作業する一方で、ライオンや虎のようにケージの中でぐっすり眠る動物もいる。これらの動物が働かないのは、単純に彼らが凶暴で使えないからというのもあるだろうけれど、もう一つ、彼らが力を持つ存在だからというのも言えるのではないだろうか。劇中、象がライオンのケージを運ぶ描写があるが、ここには働く者と働かない者の力関係が表れているように思う。

同様に、人間の労働の現場にも雇用する側とされる側の力関係が存在し、更に雇用される側のピエロがダンボを酷使する。この映画って実はこういう入り組んだ力関係の構図を描いているんじゃないかー……なんて思います。そして、たいへんな労働を強いられる象の中でも、大きな耳を持ち"みんなと違う"ダンボは、その構図の最も下に位置している、蔑まれた存在。彼は耳が大きいだけでなく、おそらく口をきくこともできないため、他の象からいじめを受けても言い返すことができない。これもまた発言するという一つの力を持たないということなのだろう。

しかし、最後にダンボは友人ティモシーの協力もあり、欠点と思われた大きな耳を使ってみんなをあっと言わせる。力関係の構図を最下層から引っくり返すところにカタルシスが宿るわけだけれど、これってすごくアメリカ的なストーリーだなあと思う。「人と違うところを生かすことで成功を掴みとる」というのも実にアメリカらしいよね。