映画感想(まとめてでごめんなさい)その2

昨日の続きです!


リアル・スティール

期末テスト期間でいつもより帰りの早い男子高校生たちに囲まれて一人で観ました。恥ずかしい……。ほんとに男の子ばっかりで、女子は3人くらいしかいなくて、やはりこれは男子マインドを刺激する映画なんだなと思った。彼らがどんな感想をもったかたいへん気になるところ。

王道中の王道であるストーリーには「観る側が補完してください」という点が多く、私はその補完がすんなりと違和感なくできるほどではなかったので、心からまっすぐに熱くなりはしなかったのだけれど、しかしそのようにある程度距離を置きつつ観ても十分に楽しかった。どれもおバカで、ちょっとダサいロボットのデザイン。場末のボクシング場から必要以上に醸し出されるヤバさ。ラスボスのラスボスらしすぎるキャラクター。そうした種々の要素がどれも楽しくてニヤニヤしてしまう。無愛想でムスッとした表情のラスボス二人を最後にムキーッと言わせるのもお決まりだけど気持ちいいのよねえ。

まあ正直に言えば、序盤は異常なテンションの高さについていけなかったり、「えー、牛と闘うの」と思ってしまったりして、なかなかノレなかったのだけれど、途中で細かく考えず「えいやっ」とあの世界に飛び込んだら楽しくなった。そしてわかった、これは父子ものというより二人の少年の映画なんだな。スリルに満ちた(ロボット)ボクシングの世界に魅了された少年の物語。

なもんだから、ヒュー・ジャックマン演じる主人公の父親としての成長はほぼ皆無であるのだが、そのあたりはヒュー自身の魅力で単なる「ダメ男」にはしていない。エヴァンジェリン・リリーを見つめる瞳が素敵すぎて苦しいです。息子役のダコタ・ゴヨのキラキラした表情、度胸満天のスピーチ、かわいらしいダンスもたいへん素晴らしい。が、ちょっとものわかりがよすぎるのは気にかかった。母親に関する諸々はもう少し丁寧に扱ったほうがいいのではないか……。

と、お話の上では気になる点もあるのだけれど、盛り上げるべきところできっちりと盛り上げる演出はたいへん的確。「ここ!」というポイントを外さない。その、繊細さや緻密さよりも豪快さや大らかさを愛しつつも、しっかりと丁寧な仕事ぶりには、優れたアメリカの娯楽映画らしさを感じました。

ちなみに一緒に観た男子高校生たちは予告編が始まっても落ち着かず、本編中もおしゃべりがうるさかったので、できればもう一緒に観たくはありません……上映後はなんか恥ずかしかったので感想を盗み聞きすることもなく、そそくさと退場したのでした。


ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル

超楽しかった!「ハリウッドの娯楽大作だからできること」を突き詰めるとここまでやれてしまうのだな!

ちなみにこれまでのシリーズは未見。それでも十分に楽しめるけれど、できれば3は観ておいたほうがいいと思う。そして、お金に余裕があればIMAXで観るべきかも。あの映像をIMAXで観たらきっとすごいよ……普通に観て後悔した。

オープニングからもう素晴らしく贅沢で溶けてしまいそうなほどであり、いろいろ言い出したらキリがないのだが、やはり何より魅力的なのは、あの観ているほうが画面に吸い込まれてしまいそうなアクションの数々。

「ボーン」シリーズばりの加速力とハリウッド大作だからこそのスケールの大きさががっちり噛み合い高速で回転したようなアクションシーンの求心力は本当に凄まじい。画面から目が離せない/釘付けになるとはよく言ったものだが、今年最もそうした言葉が当てはまるのは、この映画ではないか。立体駐車場でのクライマックスシーンで見せたような自由なカメラワークも素晴らしかった。これはアニメーションの世界で経験を積んだブラッド・バード監督ならではのものじゃないかと思う。

チーム・イーサン・ハントの面々がみんな魅力的で、しっかりチームとして機能していたのもいい。このシリーズの代名詞である主演のトム・クルーズは、やはり流石のトム・クルーズっぷり。「どこに行くんだ?」「インドさ(キラッ」でフイタ。この人についていけばきっとなんとかなるよ、うん。トムちんは自分自身をネタにしつつも、全力でトム・クルーズであろうとする、その姿勢が好きだ。タフネスとセクシーを兼ね備えたポーラ・パットンの凛々しい佇まいもよい。映画に笑いをもたらす面で大活躍だったのはサイモン・ペグ。予想以上の奮闘ぶりが嬉しい。彼がいたことで軽快なリズムが生まれた。そして俺の(じゃないけど)ジェレミー・レナー!今回はなんとヒロイン!お姫様!あの屈伸運動は今年の映画名場面の一つだろう。相変わらずがっちりした二の腕でYシャツがパンパンになっているのもたまらん……しかし黙々と仕事をこなすレナーさんが好きな私としては、もっともっと仕事してほしいと思った。まあしかしこれも次作に期待させるための、じらしのテクニックだと思うが。

物語にはだいぶツッコミどころがあるし、それが気になりはじめたら際限がないだろう。"悪"の深みのなさは近年のアメリカ映画では考えられないほどかもしれない。それでも、贅沢の限りを尽くし豪華絢爛で、とはいえ貴族趣味的にはならずフレッシュな風も吹かせる、この最高のエンターテイメントに私は酔いしれたのでありました。


宇宙人ポール

クリスマスに観に行って大正解。愉快な宇宙人と過ごした一夏の思い出がキラキラした結晶になって降り注ぐ、なんとも素敵な冬の贈り物であった。

サイモン・ペグ&ニック・フロストの仲良しコンビとセス・ローゲンという、英米の人気コメディ俳優の共演に注目が集まりやすいが、ここでは少し監督の話を。監督は「スーパーバッド」「アドベチャーランドへようこそ」のグレッグ・モットーラ。「スーパーバッド」は未見だけれど、「アドベチャーランド〜」はキュンとくる切ない青春映画の良作で、本作の監督がこの「アドベチャーランド〜」を撮った人だと知って、本作の「キラキラした思い出」を切り取る巧さに至極納得がいった。「アドベチャーランド〜」は私にはちょっと甘酸っぱ成分が多すぎて恥ずかしくなっちゃうくらいだったけど、こちらは笑いがいっぱいのぶん切ないキラキラよりも多幸感のキラキラが勝っていて更に素敵。

冒頭でサイモンかニックが、アメリカに来たのは初めてにも拘わらず「なんだか懐かしい気持ちになる」と言うのだが、まさにその言葉のように、モットーラ監督は誰もが感じる普遍的な「懐かしさ」をつくのが巧いのだと思う。大切にしまっていた思い出を取り出して、新しい恋や友情に心ときめかした日々を振り返るように。

本作は「よそ者(alien)」からのアメリカ文化への憧憬や感謝が根底にある映画。そもそもが「アウトサイダーの視点」から始まっている。だからこの映画は一つの世界で閉じず、「その世界に属さない者」にもオープンなのだと思う。そしてそれは、スピルバーグ映画をあまり観ていなかったり、SFに造詣が深くない人間の前にも開かれている。サイモン・ペグ脚本(今回はニックも参加)ではお決まりのたくさんの映画ネタに関しては、今回もほとんど理解できていないと思うけれど、それなのにたくさん笑ってホロリときたのは、きっとそのためなのだと今回認識した。これでようやくサイモンとニックの魅力をちゃんと理解できた気がする。彼らは決して「閉じない」。閉じないオタクだ。

以前から思っていたが、サイモンは好きな女の子を見つめるときの表情がたいへんかわいく、またそれを見て嫉妬してウググ…となるニックもかわいい。この二人は見れば見るほど愛おしく感じる。あまり好きではないが声と喋り方はいいなと思っているセス・ローゲンは、声優での参加なのでばっちり。アニメの吹き替えも聴いてみたい。

いっぱい笑って元気になる、最高にハッピーな映画。一人でも、友だちとでも、恋人とでも、家族とでも、誰とでもいいから、映画館で幸せな気分を分かち合いましょう。


「永遠の僕たち」

孤独な美少年と病の美少女の恋……そこに迫り来る死と儚さが添えられた、特別なことなんて何一つないお話。しかし、「この子ほんとに死ぬのかしら?」と疑いたくなるほどに艶やかな、ミア・ワシコウスカの「最後の生命のきらめき」とでも言うべき美しさが、映画全体をキラキラと輝かせて切ない。最後なんてわきりきっているし、あの手紙はロマンチックに過ぎるけれど、それでもえぐえぐなってしまった……うぅ。

主演の二人がとにかく素晴らしい。曖昧で繊細で、この一瞬にしかない完璧な美しさを二人とも持っている。日本からは加瀬亮が参加していたりもするのだが(散々予告を観ていたくせに出ているのを忘れていた)、ちょっと今回に関していうと主演二人が傑出しすぎだ。というか、ガス・ヴァン・サントの思い入れが尋常ではない。ミア・ワシコウスカに関しては先に書いた通りだが、主人公を演じたヘンリー・ホッパー(デニス・ホッパーの息子!)の美貌にも稀有なものがある。寝癖のついた、キラキラ輝くブロンドに、白く滑らかな肌。瞳は危うさをたたえている。

20年代を思わせるような衣装も気どりがあって素敵。しかも美しい男女が着るとなお映える。そうした時代を取り違えそうなファッションや神々しいまでの二人の美しさもあって、美男美女の儚い恋物語という、この今どき珍しいくらいに麗しい青春劇には、どこか浮世離れした、「ここではない世界」を夢見させる感覚があり、それは古き良き少女漫画のようではないかと、何とはなしに感じたのだった。

インディー系の良質なポップ/ロックを集めた音楽も映画に華を添えております。ほしい。



ちなみに

マネーボール」だけはどうこねくりまわしてもうまく文章さにならずでした(まあそれ以前に感想書いてないのいっぱいあるんだけどさ)。ただ思ったのは、この映画って私のように00年代後半(あるいはもっと後、未来の話)に映画ファンになった人間が観ると、それ以前からの映画好きの方々が観るのとはまた違ったかんじがあるのではないかということ。この映画の主人公ビリー・ビーンの歴史、つまり将来有望な選手としてプロ入りしながら結果を残せずGMとして球界を変革した彼の歴史と、彼を演じたブラッド・ピットの歴史が重なる、という評はいくつかのところで目にするけれど、私が映画ファンになったときのブラピというのは、既に「俳優」として認められた存在だったんだよね。もちろん、私が小学生の頃から彼は「スター」で、CM(ゴ〜マァリソ〜ンてやつ、503には聞こえない)などではよく目にしていたのだけれど、その「スター」から「俳優」の間を埋める彼の闘争を私はリアルタイムでは知らないわけで、私の中でのブラピはもう最初から「完全無欠」の優秀な俳優なのだ。

だから「マネーボール」の予告を観て、あらすじを読んだとき、私が想像した「ブラピ演じるビリー・ビーン像」というのは、頭脳のキレと実行力、そしてカリスマ性をもってチームを率いる、まさにタイラー・ダーデン的なリーダーだった。が、ここでのブラピはそうじゃない。ここにあるのは、アメリカ映画を背負う覚悟と不安を同時に抱きながらストラグルし、誰も到達できない地点を打ち立てた、そんなブラピの格闘の歴史。アメリカを代表する俳優の顔しか知らない私は、いわゆる「ブラピ像」の、その裏側を不意に見せられた気がして、はっとしてしまったのだった。


……あれ、なんかそれなりに感想文になったな。まあそれはさておき、これで明日からは今年の総括に入れます。よろしければこの後もお付きあいくださいね。