QueenのPV集を観てまったりと過ごす

今日は昨日書いたように泥のように寝て11時くらいに起きました。京都にいる間はわりと元気で、早起きして一日中歩き回っても平気だったんだけど、アドレナリン?脳内麻薬?がきれると、もう起きていられなかった。まあよく考えてみりゃ病み上がりだからな……よく京都行けたよ。

で、起きてからさっそく京都土産を食した。しば漬とかちりめん山椒とか……今回はご飯のお供系をいろいろ買い込んだんだけど、一週間くらいでなくなりそうな勢いで食べてる。特に京ラー油ふりかけというやつが当たり。京都特産のねぎ(何ねぎか忘れてしまったが調べるために台所に行くのがめんどい)がはいったラー油をごまに和えたもの。辛くてうまうま。

それから一日、クイーンのグレイテストビデオヒッツ1・2(ベスト盤、グレイテストヒッツの収録曲のPVを集めたもの)を観て過ごした。いやあ、それにしても何でしょうね……笑っちゃう映像が多い。フレディの動きに何度かフイタ。あの回転のキレとか他のメンバーへの絡み方とかにね。唯一無二って、ほんとこの人のためにある言葉だと数十回目の再確認。

初期(80年まで)のビデオは手作り感が強くて、撮影もシンプル。一つのアルバムからのシングルカット曲は基本的に全部同じ場所・スタジオで撮られてる。

例えばJazz収録のこれらとか。


まあこの2曲は一つのシングルのA面とB面だからビデオもまとめ撮りなんだろうけど、今だったらこういうことはしないんじゃないかなあと。フレディの服装もシャツを着てるか脱いでるかの違い……この生身にサスペンダーってスタイル、流石です。あと下のFat Bottomed Girlsではジョンがまったく映ってないんだけど、こういうことも今ならありえんでしょ。

グレイテストヒッツは1が80年リリースのThe Gameまでの代表曲、2がそれ以降を収録しているんだけど、ちょうどMTVの時代、PVの時代の前後が1と2の切れ目になってるので、PVの歴史を辿るという意味でも観ていておもしろい。ちなみにあのBohemian Rhapsodyのビデオが「最初のPV」と言われてるのは有名な話だけども。

グレイテストヒッツ2はだから、凝ったビデオが多いんだけど、一番好きなのはこれかなあ。

ちびっこたちによるものまね!みんなかわいい!そして似てる!特にフレディ役の子はすげえよなあ。「こんな動きするするw」と何度うなずいたことか。ブライアン役の子との絡み方が絶妙。そうそう、こうやって背中を反るんだよね。あと全身タイツでも子供だと怪しさがなくなりますね。かわいい。ご本人登場後の、メンバーがちょっと子供たちの動きに合わせてるのもまたよくて、ジョンとジョン役の子なんて親子みたい。

でもこの頃(89年)のPVは明らかにフレディの病状が悪化してるのが、メンバーの一致団結ぶりとやたらな明るさから伝わってきて、けっこう観ていてしんどかったりもする。曲調もすごく明るいのが多い。たぶん、フレディはもうどこまでいけるかわからない、だからいけるところまでいこう、団結しようっていうムードだったんだと思うけど、そのポジティブさのぶん、裏にあった事情の重さを痛感して泣けてくる。この後、91年にリリースされたフレディ存命でのラストアルバムInnuendoは「すべてをここに集約」「総決算」ってかんじで、逆にこの時にあったようなやたらな明るさはなく、それはそれで壮絶で涙が出てくるけど、私はやっぱり89年の、メンバーみんなが手をとりあって前を向くポジティブさに何とも言えない悲しさを覚えてしまうのだった。

でもみんな楽しそうにしてるからPV単体で観るといいものが多い。これとか。

ジョンがかっこいい!

あと時代をちょっと遡るけど、このPVの意味不明さも泣ける。当時のフレディの派手な生活ぶりが映像化されたようで。

見てください、このフレディ以外のメンバーのやる気のなさ。特に何もすることのないロジャーとジョンの表情がおもしろすぎる。このPVはロジャーやブライアンにしてみるとやっぱり意味不明だったらしい。

そしてこれは歌詞がまた泣ける。「自由なんてほしくない、傷ついた心で生きるのは無意味だ」という言葉から始まるこの曲は、男女が永遠に愛し合うことの厳しさを歌ったごく普遍的な内容のものなんだけど、フレディがこんな意味のわからない格好で歌うと無性に心に響くのだ。すべては儚く、虚しく。

元々今日グレイテストビデオヒッツを観て過ごそうと思ったのは、昨日の帰りの新幹線と電車(計4時間くらい)でずーっとクイーンを聴いていたから。それで久々にSomebody to loveやBohemian Rhapsodyの歌詞をじっくり聴いていたら「うあああ」と冷静ではいられなくなってしまった。どれもフレディ作詞の曲なんだけど、たぶん彼の心情を生々しく吐露したものというわけじゃない。でも、そこにはやっぱりフレディの抱えるものがうっすらと見える気がする。富裕な家に育ち、少年時代をインドの寄宿学校で過ごしたというフレデリックバルサラ。その人生の多くの部分は知られていない。彼が抱えていたものは何だったのか。そもそも何かを抱えていたのか。ここで興味深いのは、これらの曲の主人公たちが私にはすごく遠くの存在に思えて、一生「共感」に至ることはないだろうと感じること。そして一生共感しないだろうことがわかっているからこそ、その言葉の遠さに打ちのめされてしまう。

フレディの心の中はよくわからないけども、すごく特殊な人生を送っていたわけだし、「何もなかった」ということはたぶんないだろう。でもそこで「俺は苦しい、疲れている」と訴えかけるよりも(そういう曲がないわけじゃないが、それを「自分の心情」として歌うことはあまりなかったと思う)、「俺のやりたいことといえば〜、バーイシコー、バーイシコー♪」と歌うフレディってやっぱり唯一無二なんですよ!とまたしても思うのだった。