グレート・ギャツビー(F・スコット・フィッツジェラルド)
昨年終盤は本の感想が滞ってしまったんで、今年はこちらもとりあえず何かしら書き残しておくようにする。
- 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ちょっと期待しすぎていたのか最初はあんまりノレなくて、読書スピードもなかなか上がらず、結局読了までに1ヶ月半くらいかかってしまいました。なんというか、細部の表現はどれも美しく儚くてうっとりするくらいなんだけど、やはりちょっと感傷が強すぎて、当事者じゃない人間からすると「なんでそんなにおセンチな気分なのかわかんないし、『うん……』としか言えないよ」ってなる。第一次大戦後のアメリカの狂騒、あのやったらめったらキラキラしたかんじも身に覚えがなさすぎるものだから、それをため息まじりに書き綴る語り口に「うんうん、そうだよねえ」と共感できないのが痛かった。当時を知る人(なんて今ではほとんどいないだろうけど)が読むと、あのパーティーの儚い狂乱がリアルなものとして立ち上がってくるのかねえ。
とはいえ、終盤は凄みを感じた。古典だからというのを言い訳にネタバレしますけど(一応ムダに一行空け)、
ギャツビーはあれだけ豪勢なパーティーを開き多くの人々をもてなしてきたにも拘わらず、そんな彼の葬儀に誰も出席しないことに、「とはいってもまあ、これまでの記述から見てそれは仕方ないよね」と納得できてしまうことが何より悲しい。前半からギャツビーが若くして手にした富や栄光(それは必ず形ある、値段のついたものである)の記述をしっかりと積み上げておいて、最後にきて「その内実は空っぽなんですよ」というのを畳み掛ける、あのかんじは長編小説ならではの物語のうねり、力強さだった。
それにギャツビーの孤独な貌にはどこか見覚えがあった。読んでいてなんとなく「ソーシャル・ネットワーク」を思い起こしたのだ。何も振り返ることなく渦の中心へと疾走したザッカーバーグのひとりぼっちの背中には、大きな夢を抱きそのためだけに邁進してきたギャツビーのそれが重なるように思う。アメリカン・ドリームの神話は今も形を変えて語り継がれているのだなあ、と時代を遡る形で再確認した読書体験でもあった。
今の自分はジャズエイジについてあまりに無知すぎるので、また少し勉強してから読み直すと感想も変わるかな。フィッツジェラルドはこの他に短編を二つくらいだけかじり読みしたのだけれど、その短編の中でも「西部出身の人間が東部に馴染めない」というのがあって、この人のそういう「ここに自分は属していない」という感覚がきっと、あの儚さや喪失感を生み出しているんだなと思いました。