暗殺のハムレット ファージング�(ジョー・ウォルトン)

昨日書いた通り、ジョー・ウォルトン著「暗殺のハムレット ファージング�」を読み終えたので、今日はその感想を。

暗殺のハムレット (ファージング?) (創元推理文庫)

暗殺のハムレット (ファージング?) (創元推理文庫)

第二次世界大戦の途中でナチスドイツと単独講話を結び、徐々にファシズム国家になっていくイギリス——というパラレルワールドを舞台にした歴史改変サーガ、ファージング3部作の2部目。1部目の「英雄たちの朝 ファージング�」(感想→http://d.hatena.ne.jp/momochixxx/20110306)を読了してからひと月以上経ち、ようやく図書館から借りることができた。この日を私がどれほど待ちのぞんたことか!

本作の舞台はロンドンの演劇界。�で起きたファージングでの政治家殺人事件から、おそらくまだ二ヶ月ほどしか経っていない。ファージングの事件以降徐々にファッショ化していくイギリス、その状況に警鐘を鳴らす人々と危機感の薄い一般人との温度差などの描写がとてもリアルで、少しずつ人々を抑圧しはじめたファシズム社会のキリキリと身体を締め付けるような感覚が伝わってくる。

この3部作は、シリーズを通して一人称と三人称の二つの視座が交互に登場し物語を語っていく形をとっている。三人称パートの主人公は、3作すべてスコットランドヤードのカーマイケル警部補(�で役職変わりますが)。�で苦い敗北(己の魂に対しても)を経験し思い悩むカーマイケルは、しかし苦悩を抱えつつ、ある爆発事件の捜査にあたる。ファージングの事件同様、ロイストン巡査部長とコンビを組んで捜査するのだが、私はこの二人のやりとり、特に車中での意見交換や他愛のない話がすごく好き。この三人称パートの魅力の一つは、二人の会話から生まれるリズムだと思う。それだけに……いやここは書かない。

一人称パートは3作それぞれ違う女性が担っているのだが、本作では女優のヴァイオラが語っている。彼女は男女逆転「ハムレット」でハムレット役を演じることになり、そのせいで(?)ある陰謀に巻き込まれ、結局は加担することになる。その加担する理由が、陰謀を企てた一味の一人であるデヴリンという男に惹かれ、「彼がほしい」と思ったから——「好き」とか「愛してる」とか心情的なことではなく、「この男がほしい」という欲望 からというのが非常におもしろく、同時に18のガキんちょには「(自分にはない)大人の感覚」に思えたのであった。だからヴァイオラは、素敵だけど、私にとっては「共感」とかそういうのとは違うキャラクター。

ちょっと余談になるけど、この3部作の女性語り手3人のうち、誰に一番共感するか、誰を一番好きになるかは、読者の年齢や経験でだいぶ異なるのだろうなあと思う。実は、すでに�を少し読んだのだが、こちらの女性語り手はエルヴィラという18才の女の子なので、彼女のほうが私にとっては身近に感じられるのかな、まだちょっとしか読んでないからわからないけれど。�では20代前半の若奥様ルーシー、�では30代前半で女優として生計をたてる独身のヴァイオラ、そして�では10代後半で社交界デビューを目前にしたエルヴィラ——立場のまったく違う、それぞれに魅力的な女性達。この3つの女性像の設定はほんとに素晴らしい。なにせ全員素敵なんだもの。きっと「3人のうち誰が一番好きですか?」のアンケートをとったら、けっこう票がわれると思うよ。

一人称パートの特に好きなところは「率直さ」。�のルーシー同様に、ヴァイオラも自分が目にしたこと、感じたことをすごく正直に綴っている。そして、「誰かに伝えなくては」と書かれたその文章は、非常に有用な記録としての側面もあって、とても綿密な描き込みがなされている。できるかぎりのことを伝えるために、すごく丁寧に率直に書かれているのだ。

そして、単に有用な記録としてだけでは終わらないディテールの楽しさもこの文章にはある。�ではお茶や食の描写にこだわりが見えたが、本作ではファッションなどヴィジュアル面の描き込みがとても細やか。特に、稽古の途中でヴァイオラが女優仲間であり友人であるモリーと歓迎会に何を着ていくべきか話し合う場面が楽しい。これは、女の子達が雑誌を広げて、「今度のお出かけでは何を着ていこう?」「このワンピースなんかいいんじゃない?」なんてやりとりしているのと根本的には同じこと。私はあんまりこういう経験ないけど、映画なんかではよく見るシーンだし、そういうシーンに胸踊るくらいの心は持ってるよ。それから演劇に関する描き込みも詳細で、冒頭の謝辞を読んでもわかるように、当時のロンドンの演劇界の状況についてはかなり調べていたらしい。こういう本筋には関係のない細部へのこだわりやどんなときでも忘れない美意識(「ナチをどれだけ憎んでいようと、彼らのファッション・センスだけは認めざるを得ない」!)は、とにかく楽しくあることを重要視しているのがわかるし、それがまさに乙女小説の真髄なのだよね。ディテールにこそ、乙女は宿る。

話の顛末は、冒頭のヴァイオラの語りから、後ろのページまで読み進めなくてもなんとなくわかる。それでも、爆発事件を捜査するカーマイケルと陰謀に巻き込まれたヴァイオラがクロスしてからの展開、特にラスト50ページくらいは、息もつかせぬといったかんじで、一気に読んでしまった。

ヴァイオラは「自分は3つの世界を忙しく往復している」と言った。デヴリンと一緒にいる世界、女優として仕事をこなす世界、そしてハムレットになりきる世界。あるいは、ヴァイオラには二つのヴァイオラがあるとも言える。貴族の娘として外界から隔離されるように育ち、5人の姉妹と肩を寄せあってきたヴァイオラ・ラーキンと家を出て自らの力で生きる女優ヴァイオラ・ラーク(芸名)。とにかく、ヴァイオラには複数のヴァイオラがいて、彼女は常に女優の魂を持っているのだが、そのいろんなヴァイオラが、陰謀が実行される「その日/その時」に向かって、次第にそれぞれの境界を曖昧にしていき、最後は渾然一体となっていく様が凄まじい。

また、陰謀に加担することになってしまったヴァイオラの気持ちの「揺らぎ」(この揺らぎがとてもリアルで切実で好きだ)は、彼女が演じたハムレットと重なる。優柔不断なハムレット。生きるべきか、死ぬべきか。最後のヴァイオラの中にはハムレットになりきったヴァイオラもいた。そしてそれが最後のあの台詞に繋がっている。

�、�を通して厳しい現実を目の当たりにした(そしてそこに立ち向かっていけなかった)カーマイケルは、クライマックスとなる�に向けて、一つの決意をする。「世界を変えたいのなら、人びとの思考から変えていかなければだめだ」——現状を誰よりも把握し、苦みを味わったカーマイケルだからこその力強い言葉。�で彼がこの言葉を実現していく姿を楽しみにしつつ(まあすでにちょっと読んだんだけどね)、こちらの感想はおしまいにさせていただく。



※ジャックの一人称が「わたし」なのが気になるという声を多数聞きましたが、私も気になりました。なんか違和感あるよなー。

※「イングロリアス・バスターズ」っぽいよとも聞いてたんですが、ほんとにもろイングロでびっくりした。タラちゃんはこれ読んだのかしら?