赤ちゃん泥棒

(昨日の続き)

寡黙なサスペンススリラーだったデビュー作とは真逆の饒舌でハチャメチャなコメディ。作品を重ねるごとに表現の幅を広げていくのが一般的だとすると、コーエン兄弟は最初に両端を見せてから間を埋めていってるかんじ。いかに彼らのやりたいことが最初から確立されているかという(ry


泥棒のハイは刑務所で出会った婦人警官のエドと恋に落ちる。二人はハイの出所後に結婚し、ハイは生活を改め定職に就き、幸せな毎日を送るが、エドは子どもができにくい体質だった。どうしても子どもがほしい二人は赤ちゃんの誘拐を決意する。


すごくストレートに罪人たる人間を祝福する映画になっていたのでちょっと驚いた。もう何度も書いてきた通り、コーン兄弟は一貫して、欠陥だらけですぐに間違い=罪を犯す人間という滑稽な存在を笑いを交えて描いているが、本作ほどそんな愚かな人間をまっすぐに祝福あるいは応援するような作品というのは珍しい。基本的に愚かな人間たちがわーわーなっている様子を高いところから見下ろすのが彼らのスタンスであり、そうしてキャラクターから距離をとることで本来は自分の内にもある滑稽さを客観的に捉えて笑い飛ばす。しかし本作では他の作品に比べてキャラクターへの愛着が感じられ、主人公の成長を描くなど、彼らにしては眼差しが優しい。

中盤からヘルズエンジェルスをさらにいかつくしたような風貌の黒人のバイク乗りが登場するが、これは「自分はどうあがいたって結局セコい泥棒から脱け出せない、また刑務所に逆戻りなんだ」という主人公ハイのルーザーな考えが生み出した行く手=成長への道を阻む存在の比喩であり、本作はそんな罪人・負け犬の男が目の前に立ちはだかる壁を壊して一歩先へと踏み出す姿を描いた寓話である。そして最後にハイが夢に見る「あり得るかもしれない未来」の光景に宿るのは仄かな希望だ。人間はバカで欠陥だらけ、それでも人生はやり直せるし、前に進むことは案外そんなに難しいことじゃない——こんなにポジティブなメッセージを投げかけるコーエン兄弟作品は他にないのではないか。そのぶん多少大味ではあるのだが、ここまでまっすぐな罪深き人間の賛歌になっていると清々しい。

そして何よりこれは映像的な挑戦作・野心作だと思う。細かいカット割り、縦横無尽に動くカメラワークを駆使した映像はたいへん躍動的。逃げるハイと追う警官、そして走り回る犬たちが交錯する場面はまるでガイ・リッチー作品のようで、目まぐるしい展開をスピーディーなアクションとして見せる手腕はお見事。初期作品ということもあってか、「こういう画を見せてやるぞ!」という意気込みも伝わってきて、コーエン兄弟と言えども最初は肩に力が入るのだなあと思った。

主人公ハイを演じたニコラス・ケイジがとことん胡散臭い見た目なのも素晴らしい。あの髪型!髭!あれはどうしたって信用できない。逆に誘拐される赤ちゃんはたいへんかわいく、笑顔が太陽ほどに眩しい。ああいう表情ってどうやって引き出しているのだろう。


今回コーエン兄弟の初期2作品を観て、改めて彼らの一貫した姿勢を確認した。意地悪でヤな人たちだなーという意識(最初は彼らのことそう思ってました)が変化すればいいなと思って始めたコーエン兄弟ラソンももうすぐ完走。全作品見終わったら自分内での彼らに対する見方の変化について少しはまとめられたらよいなあ。

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