ブラッドシンプル/ザ・スリラー

コーエン兄弟のデビュー作「ブラッドシンプル/ザ・スリラー(ブラッド・シンプル)」について軽く。ほんとは第2作「赤ちゃん泥棒」とまとめて書くつもりだったのだが、「ブラッドシンプル」のほうをダラダラ書いてたら時間なくなったから、そちらは明日に。

元々「ブラッド・シンプル」という邦題(原題Blood Simple)で公開されたのだが、1999年にコーエン兄弟自らの手で再編集が行われ、その際に邦題が「ブラッドシンプル/ザ・スリラー」に変わっており、私が観たのはその再編集版なので、今回はこのタイトルで表記。なんかまどろこっしくて、いい邦題じゃないけども。

硬派な良きサスペンススリラー。前半はテンポがまったりしすぎているように思えて退屈しかかったが、事が起きてからはジリジリと壁際に追い込むような演出で楽しめた。オーソドックスなノワールのスタイルを踏襲しており目新しいものは見られないけれど、これを観ると、既存のデータベースをきれいに整理整頓し自分流のものを作り上げていくコーエン兄弟の手法はデビュー時から確立されていたと言える。

ボスの妻と不倫関係にある男。夫の店の従業員と関係を持った妻。妻の不倫を疑う夫。夫から妻の浮気調査を依頼された探偵。それぞれの思惑や疑念が交錯し事件が起こる。

勝手な思い込みや勘違いで行動して事態を悪化させてしまう主人公は滑稽でありつつ哀しく、以降コーエン兄弟が現在に至るまで描き続けている人間像そのもの。彼らは本当にやっていることが明確で、デビュー作から描くことが一貫しているのだからすごいよなあ。私が彼らを好きなのは、この「可笑しくて哀しい人間」という一貫したテーマを様々な手法から考察し、発展させていってるから。彼らの人間を見つめる独特の眼差しがおもしろい。(この話もいずれまとめたい……)

巧いなあと思ったのは、「何かを言うことと何も言わないこと」とタイトルにも含まれている「血」の使い方。放たれた言葉は一度誰かの心に「疑い」として根をはってしまうと勝手に育っていき、今度は何も言わないこと=無言電話がその疑念をますます大きくしていく。そしてそれは布で覆い隠しても滲んで浮かび上がる血痕のように振り払うことができず、次第に「疑念」は「狂気」へと移行する。この浮かび上がる血痕を登場人物たちが疑念や狂気に蝕まれていく様に見立てたのは、シンプルな手法だけど唸った。タイトルがまさしく映画そのものを表しているわけで。

コーエン兄弟らしい映像へのこだわりもやはりすでに見られて、バーのオフィスにいるフランシス・マクドーマンドにカメラが寄り、退くと今度は背景が寝室のベッドに切り替わっているのとか、銃弾で開いた穴から光が射し込むのとか、とても技巧的でよいのだが、それ以上にバーの照明に照らされ青く光る煙草の煙というような、なにげない日常的なワンカットの美しさに目がいく。このデビュー作から「ミラーズ・クロッシング」までの撮影監督を務めたバリー・ソネンフェルドの作る画は、陰影をくっきりと描き出すロジャー・ディーキンス(言うまでもなく、「バートン・フィンク」以降のほぼすべてのコーエン兄弟作品の撮影監督)のそれに比べるとぼんやりとザラついた質感があり、私はこちらも好み。

思わぬ収穫(?)だったのは、今まで巧い役者だなとは思っても、かわいさを感じたことはなかった(ごめんなさい)フランシス・マクドーマンドを初めて「かわいい」と思ったこと。ヒロインとしてのキュートさとタフネスを兼ね備えており、にわかにタフガール映画の様相を呈すクライマックスにおいての彼女は特に逞しく美しくてよかった。コーエン兄弟って「トゥルー・グリット」のようなハードボイルド乙女映画も撮っているけど、実はタフな女の子を撮らせたらすごく巧いんじゃないかなと思ったり。

しかしまあこのソリッドなノワールの後に「赤ちゃん泥棒」がくるのだからものすごい振れ幅だよね。ということで続きはまた明日。