ステイ・フレンズ

今日から通常運転でございます。またダラダラと映画の感想等記していきます。京都観光日記も書きたいんだけど、写真の整理とかあるので、もう少し落ち着いてから。そんで映画の感想なんですけども、ちょっとたまりすぎちゃってるので、とりあえず劇場観賞ぶんだけ書く。DVD観賞も書きたいものは書くけど。



というわけで、今日は「ステイ・フレンズ」。

「恋愛に疲れた男女が、恋愛感情一切抜きのセックスつきの親友(要はセックスフレンド?なのか?)になる」ってな話が大人向けすぎて自分にはピンとこなかったらどうしよう、という不安が若干ありつつも、ジャスティン・ティンバーレイクミラ・クニスという旬なキャストに惹かれて観に行ったのだけれど、いや、これは素晴らしかった!この映画にそんな心配は無用。キュートで楽しくて笑えて泣けて、見たいものがすべて詰まった映画。今年のベスト10級に好きよ。

ソーシャル・ネットワーク」ばりの台詞量をスマートにさばいていく主演二人のリズミカルな会話がとにかく気持ちいい。いろんな魅力を持った映画だけど、その中でも最大の魅力といったら、やはりジャスティンとミラのカップルでしょう。ここ最近ノっている、まさに「旬」な二人なだけあって、伸びやかで躍動感に満ちていて、映画に弾むようなリズムを与えている。二人とも絶妙な軽みを備えているのだけれど、根は真面目で「デキる」かんじなのもいい。それぞれ仕事をバリバリこなし自立していて、その上で互いの足りなさを補い合うパートナーを求めている二人の関係にしっかりと説得力がある。一緒にいるときの安心感が本物。ジャスティンのちょっと軽すぎるかなってくらいの高い声(歌うとセクシーでかっこいいんですがね)とミラのハスキーボイスの応酬も耳心地よく、本当にこの二人は相性がいいんだなあと、観ているこっちがだんだん幸せな気分になっちゃうんだから、この映画は勝ちだ!

オープニング(エマ・ストーンの贅沢な使い方!)からエンドクレジットまでみっちりと技巧を凝らし、ひたすらに気が利いているのも素晴らしい。特にクロスカッティングを巧みに使ったオープニング。ああいう技に弱い人間なので、もうそれだけど心奪われてしまう。エピソードの組み立て方や小ネタ使い、映像の処理の仕方など、どれもスマートで洗練されていて、同時にど真ん中に大衆的。「曲名はわからなくてもどこかで耳にしたことがある」ポップソングの数々もツボを押さえている。ウィル・グラック監督の作品は初めて観たけれど、非常に巧い人なんだな。あの情報量をテンポよく処理する手腕もすごいが、今のアメリカをスマートに映し出す(ポップカルチャーへの言及とかiPadとか)センスも光っている。GQフォントの外さなさ、あれすごい。

ステレオタイプというにもさすがにちょっと安易すぎるくらいに「ラブコメ」している劇中劇が象徴的だけども、この映画ははっきりと「ラブコメ」というジャンルへの自己言及をしていて、言ってしまえばメタラブコメ映画である。しかしメッタメタの罠に落ちることはなく、そうした自己言及がそもそも「ジャンルへの愛」からきているのがこの映画のまた一つ大きなチャーム。批評的にジャンルを分析することで王道の楽しさを捨ててしまったりはしない。劇中劇にツッコミを入れつつ、最後には二人の力でハッピーエンドへと駆けていく。外からラブコメを眺めるのではなく、しかし内から見つめ直すのともまた違って、「ぴったりと寄り添っている」というかんじ。愛があればこそのあの躍動感だよ。

そういう意味では、これは街への愛に溢れた映画でもある。主人公二人のそれぞれが長い間住んできたNYとLA、この二つの街をこの映画では堪能できる。NYの大都会の真ん中で突然起こる「フラッシュモブ」はこの街の脈打つ活気を伝えている。私もあれ参加したいなあ。。。

しかし、私がこの映画で本当に一番ぐっときたのは、これまで書いてきたようなラブコメらしい楽しさよりも(もちろんそれもすごくよかったんだけど)、後半で家族映画の趣が強くなってくる点だったりする。「父がいて、母がいて、子供がいる」という、所謂「一般的」とされる家庭像とは異なる家族のあり方の中で、どう関係を築き、どう手をとりあって生きていくか。これが私の家族観とぴったり合致したもので、後半はおいおい泣いてしまった。家族の形はきっとその家族ごとに違っていい。その関係にどんな名前がつけられようと、どんな枠組みに入れられようと、関係ない。私は昔からそういう考えを持っているので、この映画における親子の関係、そして主人公二人の「恋愛ではない」関係もすごくしっくりきた。既存の枠組みが幸福な関係を築く妨げになることは多い。大事なのは、パートナーと手をとりあって、お互いが自分自身の人生をしっかり生きること。

この映画はそんなふうに、「男と女の関係」を越え、共に生きていく/生きていきたいと思う人との関係、パートナーシップそのものについて描く。そしてラストにおける「フレンズ」は、そういう人生を共にしたいパートナーという意味での「友だち」である。オープニングシークエンスで、「恋人ではいられない……でも友だちでいましょう」と消極的な意味で捉えられていた友だちは、最後に人生のパートナーという最高の存在になるのだ(ということでこの邦題はいい、原題Friends with Benefitsよりいいかも)。また、ミラ演じるジェイミーが持つ「シンデレラ願望」における王子様だって、「か弱き乙女をいつだって守ってくれて、いつだって何でもしてくれる男の人」ではない。ここで言う王子様も、「フレンズ」と同じように互いに自立しながら支え合うパートナーと言っていいはず。パトリシア・クラークソン演じるジェイミーママの「私の王子様はあなた(ジェイミー)よ」という台詞がすべてを表しているだろう。王子様に性別は関係ない。この人となら人生を共にできると思った人であればいい。

こうして見てもらえばわかる通り、本作はジャンルへの愛に溢れた王道のストーリーをしっかりと現代的にアップデートしたモダンなラブコメ映画になっている。先ほどと同じくジェイミーママの言葉を借りるなら、まさに「おとぎ話も現代版に」なのだ。