オセロー(ウィリアム・シェイクスピア)
シェイクスピア読破の旅、第3弾として『オセロー』を読みました。シェイクスピアに関しては、全作品読んでからまとめて考察したいので、今回はメモ程度に感想を記します。
- 作者: シェイクスピア,福田恒存
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1951/08/01
- メディア: 文庫
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これはですね、二日かけて読んだんだけど、実質の読書時間はたぶん3時間くらいしかないと思う。すごくテンポがよくて、どんどん読み進められる(幸い訳文も堅くなかった)。イアーゴーという男の策略によって起こる悲劇が描かれるのですが(すごく変な説明です、詳細はウィキなどで)、あまりにも彼の思い通りにことが進むので、シェイクスピア4大悲劇の一つだけど前半はけっこう笑ってしまいました。ほんとにみんなすごく簡単に騙されるのです。確かにイアーゴーはとても狡猾な男なのだけど。
しかし途中まではかなりテンポよく展開するのに、肝心の「行動」の前で急に足踏みを始めます。イアーゴーの垂らした釣り針にみんなすぐに引っかかって、あとは引き上げるだけなのに、その引き上げる手前で流れが止まるというか。そして「行動」の後はまたサクサクと終わりに向かっていく。これは普通に考えるとバランスを欠いているように見えるし、事実読んでて少しかったるかったんだけど、要するにシェイクスピアが物語の重点を置いているのは、「行動」の前の「葛藤」や「煩悶」なのだと思います。「何故なんだ」と悩み苦しみ、愛や憎しみの狭間で身を引き裂かれる、そんな人間の姿を彼は描きたいのだろうと。『ハムレット』なんて、その「葛藤」や「煩悶」を一つのドラマにしてしまったようなものだし。
そしてシェイクスピアは人間の複雑な心模様を描くのがたいへんうまい人だと思います。一つのやりとりの中で考えが180度が変わったり、正反対の矛盾する気持ちを吐露したり、というのはシェイクスピア劇ではよくある(まだ3作品しか読んでないけど)。『ハムレット』では登場人物の心情を表現するのに独白を多く使っているんだけど、『オセロー』では会話で人間の心理を描こうとしています。もちろん独白がまったくないわけではないし、イアーゴーの独白・傍白はけっこうな量なのだが、彼は語り手としての役割を担っているので、ちょっと事情が違う。やはり策略家イアーゴーの巧みな話術によって考えを変えていく登場人物たちの心の動きの過程を捉えるのが、シェイクスピアの狙いだったのではないかなーと今の段階では思います。
まるで目の前で実際に演劇が行われているかのように映像的な文章で臨場感に溢れる『ジュリアス・シーザー』ほど好きではないけれども(私がこの作品好きなのはホモソーシャルものだからじゃないかとさっきふと思って我ながら怖い、どんだけ「男だらけ」が好きなんだ)、読みやすくなかなかおもしろい作品でした。しかし死んだと思った人がみんな都合よく喋り始めるのはちょっとびっくりしたよ。