ディボース・ショウ

原題が「Intolerable Cruelty」で、なんで邦題が「ディボース・ショウ」になるんだろうと思っていたのだが、「divorce show=離婚劇」ってことなのね。わかりづらい……。

コーエン兄弟作品、8本目の観賞。傑作の多い彼らのフィルモグラフィの中ではかなり評価の低い作品なのだが、けっこうおもしろかった。まあ、彼らの作品だったら「オー・ブラザー!」とか「ミラーズ・クロッシング」のほうが断然好きだけれど。それでも、やはり彼らはヘタな映画は撮らないなと改めて思ったよね。

ジョージ・クルーニーキャサリン・ゼタ=ジョーンズ主演のロマンティックコメディ。結婚と離婚を描く。

フランシス・マクドーマンドジョン・タトゥーロといったコーエン兄弟組と呼ばれる役者がまったく出演していなかったり、ロマコメという新たなジャンルに挑戦していたり、彼らの作品で初めてオリジナル脚本ではなく原作つきであったり、という点から、コーエン兄弟のキャリアにおいて異色の作品と位置づけられている本作だけれど、決して「らしさ」がないわけではなく、むしろコーエン兄弟節の変奏作品といった趣が強いと思う。ブラックなユーモアセンス、妙に印象に残る脇役達、唐突に訪れる死など、彼ららしい要素は随所に見られる。特に法廷のシーンの大袈裟で意地のわるーい演出は、これぞコーエン兄弟ってかんじで嬉しくなってしまった。コーエン兄弟作品の演出で非常に大きな役割を果たしているのがカーター・バーウェルの音楽なのだが、この場面でも仰々しいメロディが大袈裟さを煽っていてよい。カーター・バーウェルはほぼすべてのコーエン兄弟作品で音楽を手がけており、彼らの演出の仕方を熟知しているように思う。彼のつくる音楽はいつも効果的で、一つ一つのシーンをより印象的にする。

コーエン兄弟とコンビを組むスタッフといえば、忘れてはならないのが撮影監督のロジャー・ディーキンスで、私はコーエン兄弟作品を観るといつもディーキンスに言及しているわけだが、本作でもやはり彼はいい仕事をしていた。色調はオレンジ/赤系統にしぼって鮮やかに、光と影のコントラストは相変わらず美しく、とにかく画の精度が半端ではない。私にとっては、ディーキンス仕事が堪能できるだけでもコーエン兄弟作品は観る価値があるのだ。

ストーリーは二転三転し、ラストまでどうなることやらわからない。最近コーエン兄弟映画のパターンが掴めてきたので、この作品は展開を予想しながら観たのだけれど、その予想が悉くはずれるので、やっぱり彼らには振り回されてしまうのだなあと思った。コーエン兄弟の作品自体がひねくれていて、それがわかっている私の見方もひねくれているから、もうどこにどうねじれているのかわからない。ねじれを直したら案外まっすぐだったりして。ただ、ストイックに描きたいことを描ききった「ノーカントリー」などに比べると、観ていてはぐらかされている気分になった

寓話的なモチーフがいくつか登場するけれども、やはり一番印象に残るのはジョージ・クルーニー演じる主人公が働く弁護士事務所の所長(社長?創始者?)で、主人公は彼に対して畏怖の念を抱いているように思われる。その所長は、見た目は今にも死んでしまいそうなくらいヨボヨボなのだが、弁護士としての業績はずば抜けており、それが主人公へのプレッシャーとなっている。弁護士として成功したとしても、所長のように怪物並みの業績が残せるわけではない。財産を築いたところで、それが何になるというのか。成功とは何なのか。主人公がアシスタントの弁護士とこのようなやりとりをする。一方キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるもう一人の主人公は、金目当ての結婚をし、離婚の際に相手の財産をたんまり貰って「自由」を買うのだという。女は離婚によって自由になる。ある意味ではそれが成功ということ。「成功」の意味の揺らぎや性差が本作のテーマだろうか。

最後に役者陣に触れておく。ジョージ・クルーニーは冷酷な敏腕弁護士を演じているが、彼はこういう役がほんとに多い。「フィクサー」しかり、ちょっと違うけど「マイレージ、マイライフ」もしかり。仕事はできるけれど人間味に欠ける男を演じさせたらピカイチ。しかも途中で必ず自分のそれまでの生き方に疑問をもつ。そういうところに女性は弱いのだろうな。かく言う私もよく胸キュンしますがね。

キャサリン・ゼタ=ジョーンズについてはあまりよく知らないんだけれど、マイケル・ダグラスの妻ってのが似合いすぎてるなと思う。ゴージャスな雰囲気が役にぴったりだった。

出番は少ないが、ジェフリー・ラッシュも出ている。この人のロン毛はちょっとキツいなあと思った。オープニングでいきなり強烈な印象を焼き付けていくのはさすが名優といったところ。