キッズ・オールライト

Vampire WeekendにはじまりMGMTに終わる映画を観ないわけにはいかないでしょうってことで観てまいりました。

使っている音楽がもろに俺ホイホイ、予告やポスターのポップなかんじもたいへん好みだし、テーマや設定もおもしろそう、そんで何より出ている役者がみんないいということで、かなり期待していた作品なんだけど、うーん……正直ちょっと微妙だった。いい映画だとは思うんだけど、これといって好きになるポイントがなかったし違和感を覚えるところもあった。「ザ・ファイター」の感想に続き、今回もちょっと小言が多くなるかもしれない。



舞台はカリフォルニア。ニックとジュールスのレズビアンカップルは、同じ男性からの精子提供でそれぞれ子供を産み、二人の母と姉と弟という4人家族で仲良く暮らしている。成長し、生物学上の父親の存在が気になりはじめた姉弟は、ある日母達に内緒で父に会いに行くのだが、母達にそのことが知られてから家族の関係に軋みが生じはじめる……。



上にも書いた通り、映画はVampire WeekendのCousinsという曲とともにはじまる。しかしこの音楽づかいはちょっと冴えないなあと思った。カリフォルニアの抜けるような青空、スケボーに乗って住宅街を駆け抜ける弟レイザーくんとそのぶっとんだ友人、そしてVampire Weekend流スカパンクナンバー。いい条件は揃っているのに、イマイチ高揚感がない。これから映画がはじまるぞ!と盛り上げてくれるかんじがなくて、なんとなく曲が浮いている印象。やりようによっては映像と音楽で大きな大きなケミストリーを生み出せるのに、そうなっていないことにもどかしさを感じた。作り手側がそれほど音楽を意識していないのならしかたないが、これだけもろにインディー・キッズ狙い撃ちの選曲をしているのだから、やっぱりもうちょっと音楽のマジックを活かしてほしいよなあ。「ローラーガールズ・ダイアリー」でのMGMTのKidsの爆発力を経験した後だと余計にそう思ってしまう。正直、音楽にはもっと期待していた。選曲のセンスだけじゃなく、曲をどう活かすかにおいても。

ただまあ、音楽がどうこうとうるさく言ってしまうのは、私にとってVampire Weekendはすごくすごく大事なバンドであるということも理由の一つで、それはほんとに個人的な話だから作品の正当な評価にはならないということをまず断っておく(でも個人的なことは置いといても、音楽づかいは冴えないと思ったけど)。そしてこのオープニングでちょっといやーなフィルターがかかってしまったまま観賞したのだが、それはなるべくひっぺがしてここからはフラットに書いていきたい。

脚本はとてもよくできていて、人間と人間の間にできるズレや歪みの描写が実に見事だった思う。最初は中心に集まるようにまとまっていた家族が、あるきっかけにより徐々に別の方向にすれ違っていく様を丁寧に描き出している。特に、劇中何度かある家族みんなでテーブルを囲み食事をする場面のギスギスした空気は、スクリーンを越え今実際に目の前で行われている光景かのごとくリアルに伝わってきた。

またそれを演じる役者陣がほんとに素晴らしい。レズビアンカップルの二人にアネット・ベニングジュリアン・ムーア、そして生物学上の父ポール役にマーク・ラファロという無敵さ。このキャスティングができた時点で本作はかなり勝っている。アネット・ベニングが主演女優賞でオスカーにノミネートされたが、主演はむしろジュリアン・ムーアのほう。のびのびと楽しそうにやっていてとてもよかった。アネット・ベニングは要所要所をしめるといったかんじでさすがの貫禄。そしてなんといっても、家族の関係に入り込みほころびを作るポールという難役に、マーク・ラファロをあてられたのが大きい。非常に色っぽく不思議な魅力をもつ男性なので、役に説得力が出るというか、妙にリアルな感覚が生まれる。巧みな脚本をこの3人が再現したら、そりゃあ素晴らしいものができさ。

ただ、扱いの雑な登場人物もいて残念だった。一人はレイザーのぶっとんだ友達。まったくキャラが広がらないし、退場もあっけない。レイザーにとってどういう存在で結局彼らはお互いどういう方向に行ったのかわからないまま終わってしまう。対比させるために登場させたのではないのか。そしてもう一人、ジュールスがガーデニングの仕事のために雇ったヒスパニック系のおっちゃん。こちらの退場もあっけないのだが、あの退場の仕方がギャグというか笑ってくださいというポイントであるなら、さっぱり笑えない上に強い違和感を覚える。彼がヒスパニック系であるということがあの退場と関係しているのなら、ますます笑えない。あのシーンは悪い意味ですごく気になった。この二人の扱いの雑さからは、「よその信用ならない者を排除する」感覚が受け取れる。そしてこの「内/外」の明確な線引きが、私がこの作品に感じた最大の違和感。

ここからはネタバレ気味かもしれないので嫌ならスルーしていただきたいが、私がこの作品で残念に思ったのは、ポールが最後まで家族の関係を脅かす「侵入者」でしかなかったこと。劇中ポールはいろんな人達から「自分のことしかできないし見ていない気ままな独り身の男」と言われているが、私にはそれほど彼が自分のことしか考えていないようには見えなかった。そんな彼が最後あのような形で突き放されてしまうのは、自業自得な面もあるにせよ、ちょっと可哀想すぎると思う。間違いを犯したのは彼だけじゃないでしょ?内か外かで話が変わってしまうのは、どうにも納得できない。もちろん、家族を作るって簡単なことじゃないから頑張って築きあげた関係を壊しそうな存在を排除したくなるのは普通のことで、そういう意味でこれは非常にリアルなホームドラマと言えるわけだけれど、この作品はそこで止まるにはもったいないと思う。もう一歩先の世界を見せることができたんじゃなかろうか。

本作は要するに、ある一つの家族が困難に直面しそれを乗り越えていくという、ビターなホームコメディであって、「家族」というものの根幹や枠組みを問う作品ではない。ニックとジュールスの家はもう何年も前から築かれていて、それは揺るがない。あくまで、レズビアンカップルの家族にはこんな生活があるよというのを見せているのである。そんなレズビアンカップルの家族を描いたホームコメディとしては、本作はすごくよくできている。一つの家の物語を描いたものとしては傑作なのだ。でも私はそれじゃないものが見たかった。もっと深く踏み込んで、家族という関係を根本から見直す作品を期待していた。だから前半で歩み寄りかけた内と外が最後にはまたきっぱり別れてしまう展開にはもの足りなさを感じる。

(また個人的な話をしてしまうけれど、私は家族の内と外の線引きがこの上なく苦手。家族は時に個人を縛る鎖になってしまう危険性があるから、私はいつもそうならないためにはどうしたらいいんだろうということを考えている。「家族の結束」というものに安心感を覚えると同時に恐怖も感じている。だからこの家の閉じた感覚にはどうにも居心地の悪さを感じてしまった。)

まあ私が見たいものが見られなかったという理由で文句をつけるのはあまりいいことではないが、やはり「家族」って何?に対して何かしらのヒントを求めている人は多いのではないか。今や内と外という線引きが難しくなっている時代、家族というアイデンティティの問いかけもさかんに行われている。本作はこの問いかけにヒントをもたらすことができたと思うし、そうしたら「アメリカン・ビューティー」級の作品になったのではないかな。だからこそ「もったいない」と思ってしまう。それと、子供達の視点がほとんど入ってこなかったのは残念。子供達だって自分でものを考え世界を見ている。子供は内に何かを抱えていてもそれをあまり外に出さない(両親間の問題に対して口は挟まなくてもいろいろ考えて悲しくなる気持ちはわかる)。これで「子供達は大丈夫(The Kids Are All Right)」と言われても、ちょっと皮肉っぽい。

やっぱり小言が多くなってしまったな。でも佳作ではあります。賛否も人それぞれで別れてるし。マーク・ラファロの胸毛はしっかり堪能できますので。