SOMEWHERE

日記に書いてなかったんだけど、実は数日前ソフィア・コッポラ監督/脚本の「SOMEWHERE」を観ました。これ最初はそんなに観たいと思ってなかった作品なのに、行きつけの映画館で何度も予告が流れて、それを何度も観ているうちに、主人公の娘役エル・ファニングちゃんのかわいさにハートを射抜かれてしまっていたようで、気づいたらすごく観たくなっていて、公開3日目にして映画館に足を運んでいた。だってこのかわいさは反則だもの。エル・トラップにまんまと引っかかった。

ソフィア・コッポラの作品を観るのはこれが初めてで、高い人気を誇る一方アンチな人もけっこういる監督だから「正直どうなんだ〜?」と思いつつ観たんだけれど、なかなか「いいかんじ」の映画だった。「いいかんじ」ってちょっとあまりにも拙くて漠然とした説明だけど。でも、けっこう言い得て妙でもあると思う。華やかだけど虚しい毎日を送るハリウッド・スターが普段は離れて暮らす娘と数日間過ごすうちに大切な何かを見出だしていく姿を、ほんとにただそのまま切り取って見せた、単調で現実味のない雰囲気映画であることには間違いなくて、おもしろいかって訊かれると返答に困っちゃうけど、かといって上っ面だけじゃんとツッコミを入れるのはなんか違う気がして、とりあえずこの雰囲気に身を委ねてみたらけっこう心地よかったよ?っていう、そんな映画だから。雰囲気映画なので何がどうよかったとは言い難く、全体を通して、なんかちょっとじんわりくるねってくらい。

映画の作りは驚くほどあっさりざっくりしていた。かなりオッシャレ〜でキラッキラした映画を想像していたので(「マリー・アントワネット」のきらびやかなヴィジュアルが頭にあったのだな)、これはほんとにちょっと意外。もちろん、音楽のチョイスなんかにセンスのよさはしっかり見えているんだけれど(予告編でも使われてたジュリアン・カサブランカスの曲が素晴らしすぎる)、これ見よがしには絶対なっていなくて、嫌味なかんじが全然しなかった。私がソフィア・コッポラ作品を観る上で一番危惧していたのはその点だったから、このカラッとした嫌味のなさはなんかうれしい。

脚本もかなり単純、平坦だった。終始主人公のセレブな生活がいかに退屈で空っぽであるかを淡々と(ともすれば地味に)撮り続けていて、丹念な描き込みとか人物の掘り下げはほぼ皆無。そのため、ノンセレブな私達にとってはすごく現実離れ(悪く言えば世間知らず)した作品になっているんだけれど、一方でこのひたすらに単調な描写にはある種の切実さのようなものも感じられた。

ご存知の通り、ソフィア・コッポラの父はあの有名な映画監督フランシス・フォード・コッポラで、この作品のハリウッド・スターの父と娘という関係はどう見てもコッポラ父娘のことを示唆している。巨匠を父にもったゆえハリウッドの世界で育ってきたソフィアは、この作品で描かれるセレブな生活もその単調も退屈も空虚も知り尽くしているはずだし、きっと居心地の悪さも感じていたと思う。わけもわからぬまま、わけのわからない世界に飛び込み、わけのわからない注目を浴びる。こういう経験を彼女はきっといくつもしいるはずで、それはこの作品のイタリアでの授賞式のシーンにもよく表れている。イタリア語の通訳もいなければ字幕すら出ない。どうしていいかわからない、きまりの悪さだけが滲む。大して上手くもなく色気にも欠けるポールダンスを延々見せられるシーンや特殊メイクのために顔の型をとられる主人公をひたすらじーっと映したシーンなど、長回しを多用して妙に間のびした映像を見せ続ける単調さの演出はむしろ見事と言いたくなるくらいだったし、彼女の育ちなど知らなくても、ここにある単調さを一番よくわかっているのは監督自身に他ならないんだと感じとれる。ソフィア・コッポラにとっては、切実な思いの発露なんだろう。その切実さがちゃんと伝わってくるから、「いいかんじ」と思える。

主人公を演じるスティーヴン・ドーフが誰もいないレース場でフェラーリ(ってみんな一目見ただけでわかるんですね、私車種は弱いのでまったくわからんかった)を延々走らせている冒頭のシークエンスからもわかるように、この単調さというのはソフィア・コッポラ自らの明確な意思によって生み出されている。そしてこのオープニングとラストからわかるように、彼女の姿勢は終始一貫している。この作品は確かに雰囲気映画なんだけれど、「なんとなくそうなってしまった中途半端なもの」ではなく、監督自身の言葉がちゃんと宿っていると思う。

ただまあ、もう少しどうにかできるだろうというところは多い。一番気になるのは、やはりスティーヴン・ドーフがハリウッド・スターに見えないという点。これは彼の責任だけじゃなく、衣装とかの問題もある。この映画はそういうところにリアリティがない。服一つで全然見え方が違うのに。

一方、娘役のエル・ファニングちゃんは文句のつけようがなく素晴らしかった。姉のダコタ・ファニングを上回る勢いの天才美少女。演技はナチュラル、笑顔には色気が漂っていて、到底12才には見えなかった。プールに飛び込んでお茶する真似をしているシーンやWiiで遊んでいるシーンなど、エルちゃんが出ている場面ではさりげない演出がキラリと光る瞬間がいくつもあって、ソフィア・コッポラは「少女」とか「ガール」という存在に対して少し特別な思いを抱いているのかなーと思ったりもした。彼女の女性人気が高いのは、単にオシャレだからというだけではなくて、そういう理由もあるのではないかな。

しかしエルちゃんに関して一つだけ不満を言わせてもらうと、思いのほか出番が少なかった。ソフィアのシンパシーは明らかにエルちゃん側にあるけれど、それを極力抑え主眼を父親に置いたことで一種の客観性が生まれ作品に味わいが出ているのはわかる。わかるけど、単純にもっとエルちゃんを見ていたかった。エルちゃんのいないシーンだと本当にひたすら単調なので尚更。