「ノーカントリー」と「トゥルー・グリット」

この2作品を立て続けに観たのは幸か不幸か……私の頭の中はこんがらがっております。どちらも過度な期待をして観てしまったゆえ若干肩透かし、ちょっと「???」な部分もあり、やっぱりコーエン兄弟作品ってどう観たらいいのかよくわかりません。「ファーゴ」、「オー・ブラザー!」でちょっとコーエン兄弟と仲良くなれた気でいたので、なんだかまたスタート地点に戻ってきてしまった気分。

ノーカントリー」の解釈については二転三転してます。未だによくわからない。アメリカ人が陶酔してきた古き良きアメリカの原風景にさえ疑問を投げかけた作品じゃないかと思ったりした時(つい最近のこと)もあるけど、それは私がそう思いたいだけなんじゃないかという気もする。ただこれは、現代アメリカ/古き良きアメリカという対比の話というよりは、人間対世界の話だと思うのです。「今は昔より暴力的な世界になった」とか「アメリカは変わった」とかそういうことはあまり関係ない気がする。世界はいつだって残酷で誰が死のうと顔色を変えず回っていく。世界が急に変わった瞬間なんてないはず。そんな残酷な世界の中で私達はいかに生きていくか。その生き方の質のほうが変わってきている。

この作品は「昔はよかった……」と原風景に浸るノスタルジーとは一線を画しています。変わったのは人間のほうで、かつての価値観を引き継げなかったのは紛れもない私達なのだから。昔の世界が良くて今の世界がひどいという話ではない。すべてはその中で生きる人間次第、ということなんじゃないでしょうか。そしてそんな世界の中でかく生きるべしを示したのが「トゥルー・グリット」ではないかな。この考えが今は一番しっくりくる。また明日には変わってるかもしれないけどね。

近いうちにちゃんとした感想書くかもしれないし、このままお流れにしてしまうかもしれない。とにかくコーエン兄弟の作品は感想を書きづらいのでたいへん。とりあえず今日はマット・デイモンにお口アーンってしようとするヘイリーちゃんの画像でお別れ。アディオス!