オー・ブラザー!

この前「ファーゴ」の感想を書いたとき、「次に観るコーエン兄弟作品は『ノーカントリー』にする」と宣言したのだが、気づいたらなぜか「オー・ブラザー!」を先に観ていた。

コーエン兄弟作品だから、きっとシュールでひねくれててちょっと意地悪な映画なんだろうなー」と思いつつ観てみたら、あれ?これは素直におもしろい作品ではないか!もちろん、コーエン兄弟らしいクセはあるし、奇妙な作品ではあるけれど、観ていてとっても楽しく、最後にはちょっと清々しい気持ちになる。終盤の「ズブ濡れブラザーズ」オンステージのシーンなんて、心なしか「ブルース・ブラザーズ」っぽくて、楽しすぎて体が勝手に左右に揺れた。コーエン兄弟の作品でこんなに素直に「楽しい」と思える映画があったのか!——そんな(個人的には)嬉しい驚きに満ちた、何とも愉快で素敵な音楽映画だった。

1930年代のアメリカ南部が舞台ということで、劇中で流れる音楽(手がけたのはT・ボーン・バーネット)はすべてカントリー、ゴスペル、ブルースといったアメリカン・ルーツ・ミュージック。どの曲もほんとにかっこよくて素晴らしい。

最早クリシェ化した音楽史定説に「ブルースは黒人音楽、カントリーは白人音楽、ロックンロールは黒人音楽を白人がアレンジしたもの」というのがあるけれど、実際にはそのようにはっきりした線引きはなく、アメリカン・ルーツ・ミュージックはどれも黒人と白人の微妙な関係、文化の衝突と混合から成り立っていたと思うのだが、この作品を観るとそのへんのことがよくわかる。1930年代のアメリカ南部がどういうところで、その中でどうやってアメリカ独自の音楽が育っていったかが、この作品にはよく表れていると思うから。

物語の最後でジョージ・クルーニー演じるエヴァレットが「新しく建設されたダムから電力が南部に供給され、これで南部も本格的な工業化が始まる」というような台詞を言っている通り、この作品が描こうとしたのは、まさに「現代アメリカの夜明け」だと思う。そしてそうした時代の転換期に生まれ育ったのが、他でもないアメリカン・ルーツ・ミュージックと呼ばれる音楽達。このアメリカン・ルーツ・ミュージックを通して現代アメリカのルーツを探る——これが主人公の脱獄囚3人がしたことなんではないかな。彼らが辿った脱獄逃亡の道のりは、実はアメリカ探訪の旅だったのだ思う。しかも、新たな時代の夜明けの舞台となるのが、近代化の進んだ北部ではなく、雑多な南部なのだからおもしろい。

アメリカン・ルーツ・ミュージックでは、黒人の辛い嘆きや囚人の監獄での日々など、様々な人々の様々な思いや生活が歌われる。そしてそれらがぶつかり混ざりあって、また新たな音楽になっていく。混ざりあう過程で、異物同士は砕かれ細かくなるので、表面上はなめらかになるけれど、内側まで潜ると、とても濃密で雑多な要素が組み合わさっているのがわかる。この作品で流れた曲達も、一聴すると軽快で楽しい、あるいは透き通るように美しいものばかりだったけれど、同時にザラついたワイルドな感触もあって、それがとてもかっこいいのだ。

ここまで音楽の話が長くなったが、コーエン兄弟作品おなじみのロジャー・ディーキンスによる撮影も相変わらず美しかった。この作品では、イエロー/オレンジ系統の色を基調に、南部の自然を印象的に切り取った画を作っている。黄色く色づいた木の葉がとても綺麗だ。

コーエン兄弟の撮る人間って、かっこよくも美しくもなく、ただただ「奇妙」な顔をしていて、「共感」からはほど遠い人達ばかりなんだけれど、この作品の登場人物達はみんなとても魅力的でちょっと共感できたのに驚いた。いや、実際にはみんな途中までは「奇妙」な顔をしていたと思う。後半になって、主演のジョージ・クルーニーの顔がいつものジョージ・クルーニーの顔に戻ってから、一気に作品に「人間味」が増したのだ。

コーエン兄弟は、「人間」あるいは「人間らしさ」とか「人間性」というものを、おそらく否定も肯定もしていない。ただ、よくわからない生き物としての人間を撮り、そこから生まれる滑稽さと悲哀を描きたいんだと思う。だから彼らが撮る人間の顔はみんなとても「奇妙」になるんじゃなかろうか。この作品でも、人間らしさをはっきりと肯定はしていない。しかし、「人間らしさ」がキラリと光る場面が随所に見られる。それが役者陣の顔にも表れていると思う。

またコーエン兄弟作品というと、観た後に何かモヤモヤしたものが残って宙ぶらりんな感覚にさせられてしまう、みたいなイメージがあったけれど、この作品はむしろ突き抜けた印象があり、とても「痛快」だった。やっぱり私はこういうカラッとした作品のほうが好みだなあ。

オー・ブラザー! [DVD]

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