英雄たちの朝 ファージングⅠ

今日は、昨日観た映画「ファーゴ」の感想を書こうと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらず。単純にブラックコメディ風のサスペンスとして楽しめばいいのかもしれないけど、なーんかいろいろ含みがある気がして、ただ提示されたものをそのまま飲み込んでいいのかわからんのだな。そういうわけで、今日中に感想を書くのは早々にあきらめ、昨日図書館で借りた、ジョー・ウォルトン著『英雄たちの朝 ファージングⅠ』を読んだ。ツイッターで大評判だったファージング3部作の第1部。今日はこちらの感想を簡単に。

第2次世界大戦中、もしイギリスとナチスドイツが手を組んでいたらイギリスはどうなっていたか――という架空の歴史設定のもと、ナチスとの講和条約を先導したイギリスの政治派閥「ファージング・セット」をめぐる殺人事件をきっかけとした物語を描く、歴史改変ミステリ。

やはり3部作の第1部ということで、「これから」という印象が残った。ジャンルはミステリだが、謎解きそのものを見せるというより、謎解きの過程で明らかになる恐ろしく大きな権力の存在を、まずは読者に提示するというというのが本作の狙いだと思う。一個人にはどうしようもない巨大な壁を前にして、さあどうする?とでもいうようなラストは、敗北の苦みを感じさせたし、とにかく先が気になってしょうがない。しかしここで問題なのは、私がまだⅡもⅢも入手していないということである。図書館にリクエスト出してるんだけどな。まだ借りてる人がいるんだろう。本作の邦題は「英雄たちの朝」となっているから、これが夜明けでここからが始まりということだよな。ああ、早く先が読みたい。

とはいえ、この第1部だけでも読み返したくなるくらい、いろんな要素が詰まっていて、おもしろい内容だった。これまで歴史改変ものはさっぱり読んだことがなかったから、改変世界というものをどのように創り出すのかとても気になっていたんだけれど、この作品の場合は、改変世界全体の細かな描写はせず、一つの「家」、それも国家の中枢「ファージング」をずばりピンポイントに抜き出すことで、改変世界の核の部分を浮かび上がらせている。それによって、一つの架空の世界をダイレクトに立ち上げることに成功したと思う。「家」は「社会」の縮図だし、特にファージングには、階級、人種、権力、セクシャリティといった様々な要素が渦巻いている。家を描くことで、社会をも描くことができる。例えば、本作の主人公の一人、ルーシーと家政婦長とのやりとりから、権力の構造と恐ろしさを暴き出す場面などに、それはよく表れていた。

カーマイケル警部補を中心に描く3人称の視点とルーシーの1人称の視点が交互に登場するのもおもしろかった。特にルーシーの視点は、終始彼女自身の強い意思に貫かれていて、同時に現実をしっかり捉える目もあり、とても率直なのがよかった。どうやら3部作を通じてこの二つの視点からの語りの形をとっているようで、そのアンサンブルには第2部以降も期待。

文章はとても丁寧で綿密に描き込まれていて、細部までこだわりが感じられた。特に、イギリスらしいお茶へのこだわりとイギリスらしからぬ(?)食へのこだわり。中でも、ミセス・スモレットの作ってくれたナースリー・ティー(子供のための軽い食事とお茶)をルーシーと夫のデイヴィッドが楽しむ場面は、パンケーキのにおいまで伝わってくるようで、食べているルーシーたちの反応も本当においしそうだった。ここで交わされた会話も含め、この場面は本作において実は一番重要な場面だったんじゃないかなと思う。

英雄たちの朝 (ファージングI) (創元推理文庫)

英雄たちの朝 (ファージングI) (創元推理文庫)

それにしても、読み始めて3ページくらいで、ルーシーはキャリー・マリガンにしか見えなくなった。なんか雰囲気がキャリーぽいのよね。