英国王のスピーチ

英国王のスピーチ」の感想はやはりオスカー発表前に書き上げておくべきだったなあと今さらながらちょっと後悔している。「オスカー後」の見方で作品を捉えてしまうところが微妙にあるもので。とりあえず以下に感想を記しますが、ネタバレも何もないというか実際観てその演出の妙を味あわなければわからない映画だと思うので、配慮なく内容に触れていきますから、その点はご了承のほどを。

吃音で内気な性格ゆえスピーチが大の苦手なイギリス国王ジョージ6世(現女王エリザベス2世の父)が、スピーチ矯正の専門家ライオネル・ローグや妻エリザベスに支えられて、ナチスドイツとの戦争の開戦スピーチを成功させる、という実話に基づいたお話。

本作を監督したトム・フーパーの状況描写の巧みさ、演出力の高さは相当なものだと思う。必要な量の言葉と的確な画で、そこにいる人の感情や思惑、今後の展開への予感まで含めた「場の空気」を切り取るのが本当にうまい。これは映画作りにおいてとても基本的な、大切なことだし、彼のやり方は非常にさりげなく、趣味がいい。その手腕は前作「くたばれ!ユナイテッド」でもいかんなく発揮されていたけれど、この「英国王のスピーチ」ではさらに深く一つ一つの状況を描き出すことに成功していると思う。それはもはや、展開上必要な状況説明に留まらず、状況そのものを一個のドラマに仕立て上げたくらい完成度が高い。個々の対象に寄るよりも、舞台全体の空気で魅せていく「状況のドラマ」だったと思う。

そういうわけで、予告やあらすじを見た段階では、ジョージ6世の人物像とライオネルとの二人三脚の取り組みの二点に焦点が絞られるのだろうと思っていたけれど、実際にはジョージ6世の周囲の様子を的確に描き出していくことで、彼が抱えるものの大きさを自然とわからせていく、というような手法をとっていたように感じる。国王の周囲の様子というのは、つまり当時のイギリスが置かれていた状況そのものだから、結果として本作は時代や社会といったものを映し出した作品にもなっていた。特に、王子として生まれ育ったジョージ6世が子供時代に経験したこと、目にしたものを吐き出すことによって王室の内実を暴き出していったあたりに、そうした側面がよく表れていたように思う。また、ラジオが普及したことで国王の役割も変わった、という、新たなメディアの登場による時代的要請をさりげない画で見せるのもおもしろかった。兄王エドワード8世とジョージ6世(このときはまだヨーク公)の会話に、当時は王室の存在すら厳しい時代であったことが透けて見えたりもして、その「時代を映す映画」としての佇まいは、私のような世界史が好きで中でもイギリス史が好きという人間には、特にロマンを感じさせるものだった。

そしてまたフーパーの状況描写の巧みさの話に戻るけれども、彼は「画」でものごとを伝えるのが本当に上手な監督だと思う。例えば、兄王が王室の許さない恋のために王冠を捨て、ジョージ6世が望まぬ王位に就いたとき。たくさんの勲章を服に着け、車に乗り込んで、新居となる宮殿へ向かうシーン。このシーンではセリフはほとんど(まったく?)使われないのだが、ジョージ6世を演じるコリン・ファースの表情、静かに存在感を示す勲章の数々、王を見つめる民衆の目、たかれるフラッシュ……これら単純な視覚要素だけで、国王に期待されること、彼がこれから抱えるであろう重責を表現している。その他のどのシーンも、鮮やかなカメラワークと緻密に作り込まれたカットで構成されていて、台詞まわし以上に画で物語を見せていたと思う。

そして、これは「顔」の映画だなとも思った。役者陣がみな本当にいい顔をしていて、監督もそれを存分に生かしている。特にコリン・ファースのアップを多用し、吃音ゆえ言葉がぱっと出てこない口元の震えや固まった顎に注目させることで、言葉の一つ一つに重みが出ていたと思うし、大きなスクリーンに映えていてよかった。逆にライオネルを演じたジェフリー・ラッシュの顔はとても柔らかくお喋りが上手そうで、彼の顔が映ると、「この人につけば絶対スピーチできるようになる」と思えて、ほっと安心する。人々の表情で何かを物語らせる、というごくごくオーソドックスながらとても重要なことを丁寧にやっているところがいい。

そしてこの作品をざっとまとめてみると、魅力的な顔と緻密な画で舞台全体の空気を描き出していく、「状況のドラマ」というのが個人的にはしっくりくるかなあと思う。フーパーの演出はとにかく冴えていたし、状況の作り方、撮り方は本当に丁寧で滑らかだった。

ただ、ストーリーそのものに斬新さや発見がなく、どこか一点に絞って深く掘るということをしなかった本作が攻めるべきポイントは、ライオネル・ローグだったのだろうなあと思う。植民地オーストラリア出身の平民ライオネル側からのアプローチがあれば、宗主国イギリス王室とのギャップが生まれ、新鮮な感覚が与えられて、他が同じ内容でもかなり違った印象になっただろうし、彼との内面やジョージ6世との絆をもっと描き込んでもいいのではないかなと感じた。バディものとしての色合いが案外薄かったのは、ちょっと驚きでもあったし。ライオネルが最後まで「ジョージ6世のサポート」の枠を出なかったのはもったいなかったかなと思う。これは他のどのキャラクターに関してもそうで、ジョージ6世に厳しく接し、あるいは吃音をからかい、繊細な彼の心に大きくのしかかって圧迫していた父も兄も、物語の展開を邪魔しない形で登場してきて、その行儀のよさがちょっとおかしかったりもした。

とはいっても、ジョージ6世が長年引きずってきた父と兄の影を、ライオネルが払った瞬間がやはりとても美しくて、この作品の好きなところは何よりもそこだったりする。ジョージ6世は子供時代から父や兄に怯えて生きてきたようなところがあって、それが吃音の原因にもなっていた。父が亡くなり兄は王位を捨て、ついに自らが国王になっても、自分は父や兄のように王の仕事は務まらないと思っているジョージ6世。そんな彼にライオネルが「もう父も兄もいない、これからは自分の道を進める」と言って、彼の上にネガティブな要素としてのしかかっていた「父と兄の不在」を、ポジティブなものへ転換し、解放する瞬間には、やっぱりぐっときた。この作品にはそういう「魔法の瞬間」がいくつかあった。その一つ一つがさりげなく美しく、特に上に挙げたシーンが個人的にはこの作品のハイライトだったと思う。

最後に役者陣についてちょこっと。オスカーを獲得したコリン・ファースは王族としての誇りと自信のなさが入り交じった固い表情、そこから一つ一つ言葉を発していく力のこもった様子が素晴らしかった。ジェフリー・ラッシュは間のとり方が絶妙で、コリンとのやりとりはとても軽妙で楽しいアンサンブルを生んでいた。妻エリザベス役のヘレナ・ボナム=カーターは、非常に魅力的な話し方で、気品漂う佇まいだった。実際エリザベスはとても人気のある皇后だったようだ。

監督/演出家トム・フーパーとしての技量をいかんなく見せつけた、とてもスキルフルで良心的な作品。「役者が強い映画」というだけではないことを強調しておきたい。

※「くたばれ!ユナイテッド」も「英国王のスピーチ」も非常に良心的な作品だったから、フーパー監督にはぜひ現代劇のフィクションで、エドワード8世なんかよりずっとアクの強い役の出てくる、ユニークな脚本の作品を撮ってほしいなあ、というか観たいなあ。