ガイ・リッチー映画に見る私の理想の「英国男子」像

最近ちょっとガイ・リッチー熱が復活してきたというか、あの人について考えることが多くなってきました。ガイ・リッチー、私の一番大好きな映画監督さんです。

リッチー熱復活といっても、作品はもう「スウェプト・アウェイ」以外全部観たし(しかも「リボルバー」以外は2回以上観てる笑)、早いとこ新作出ないかなと思ってる。ちなみにホームズ2にはそこまで大きな期待はしていない。とりあえずあのシリーズに関してはもう一工夫ほしい。IMDbではエクスカリバーっつう映画を撮ることになってるけど、この情報はかなり怪しい。ミヒャエル・ファスベンダーの名前がなぜかキャスト欄に載ってるけど、もしこれ本当だったら超期待する。でもリッチーに歴史ものなんて撮れんのかよと思ったりも(笑)。あんまりスケールでかくないほうがいいですよ。いい意味でこじんまりしてるところがクールなんだから。

「スウェプト・アウェイ」はどうしても怖くて手が出せませんね。内容云々よりもまず、すでにマドンナとリッチーは離婚してしまったっていう今この状況で観ること自体がしんどい。こうやってどんどん手が出せなくなっていく……。誰か「スウェプト・アウェイ」観た人いらっしゃいますかね。



ところで、リッチーファンって男性の方が多いイメージがあります。前にツイッターで「ロック、ストック〜」好きってつぶやいたら、「知り合いの女の子に薦めたらみんなまったくハマらなかった」と言われたこともありました。男ばっかりの映画ですもんね。でも、男ばかりなので逆に、リッチー映画に「萌え」を求める女性もそれはそれで多いと思います。というか、女性のリッチーファンのかなりの割合がリッチー映画に萌えている気がします。当たり前のことを言いますが、私はここで「萌え」がいいとか悪いとかの話をしたいわけではないです。ただ、男ばかりでいちゃこらするシーンも多いリッチー映画なので、萌えを感じる女性も多いっていう話です。

しかし私自身はリッチー映画に萌えたことがない。彼の映画で萌えるのは、個人的には無理だとさえ思ってる。彼が俳優を撮るとき、その視線にまったく萌えがないから。あれだけ魅力的に英国人男優を撮ってきた人だけど、本人にそういう意識がまったくないのです。ただ自分の仲間を撮ってる、そんなかんじ。私はこれを「お友達感覚」って呼んでます(嘘です、さっき名付けました)。お友達感覚で俳優撮る人ってなかなかいないんじゃないでしょうか。「スナッチ」のメイキングなんか観ると、ジェイソン・ステイサムとめちゃくちゃ仲がいいのがわかります(今はどうか知らん)。チェスして、「今ズルしただろお前」「してねえよ」みたいなやりとりを延々やってる。撮影スタッフもみんな仲間ってかんじがして、和気藹々としてる。だからリッチーが撮る男の関係ってすごく自然で、俳優の素の魅力が表れてるんだと思う。女を意識していない魅力。この「無意識」に萌えを感じる女性がおそらくは多いのではないかと思う。それは理解できるのだが、しかし私個人としては無自覚なものには萌えられない。自覚的にやってて、「うわこいつわかっててやってるよ、憎たらしいー、でも萌える悔しいー」っていうのが私の理想なので(歪んでるな)。

でも私はリッチーの撮る「男の関係」が大好きなのです。それは萌えゆえではなく、「私もこの人達の輪に入りたい」っていう思いからきている。まったく女が遮断された男の関係。「ロック、ストック〜」で主人公4人が祝いの酒盛りをするシーン、普通なら女の子を呼ぶと思うんだけど、彼らは彼らだけで楽しむんだよね。あれぞ英国的。でも彼らはゲイかというと、それは絶対違うんだよね。そういう関係になるのは絶対に嫌がると思う。もちろんゲイ的な何かが1ミリもないかというと、それは嘘になる。同性愛的な感情が一切ない同性の関係なんてたぶん存在しないから。でも彼らは一線は絶対に越えない。あくまでも友人でウェットな感情は持ち込まない。むしろ普段はほんとにこいつら仲良いのか?と思うほどドライで嫌味ばかり言い合ったりしてる。でも実際にはお互いを深く信頼しあってて、絆は兄弟並みに強い。これがかっちょいいんです。このドライな感覚が。英国男子の関係はまさにこれなのです。私はこいつらの輪に入りたい。一緒にぎゃあぎゃあ騒ぎたい。それも女として。でも友情以外の何の感情も持たずに、普段は馬鹿を言い合いながら仲良くしたい。私がこういうふうに強く、女の身でありながら男の輪に友達として入りたいと思うのは、一種のコンプレックスからきているのだろうと思う。

「イギリスの音楽レーベルはみんなボーイクラブのノリでできている」と言ったのは音楽ライターで写真家のクボケンさんだった。あるいは私のアイドル、リリー・アレンは「イギリスの音楽業界は男に支配されている」と言った。イギリスの社会というのは、レディファーストだなんだといっても、案外性的な意味で閉鎖的らしい。レーベルの運営なども、つまりは「ロック、ストック〜」の主人公4人の関係のようなものから成り立っているということなのだ。そういうとき女は仲間に入っていない。だから苦労するんだとリリーは言っている。

私が生まれたとき(というか物心ついたとき)、すでに男尊女卑はいけないという考えが一般化していて、女だから慎ましく男の後ろに控えて生きなくてはいけないなどと言われたことは一度もなく育ってきた。しかしだからといって今現在男と女はまったく同等の扱いを受けているかといったら、上で書いたように、まったくそんなことはないわけで、私は特に「女の子」になるということがさっぱりわからなかった人間だから(今でも私は女の子じゃないと思ってる)、居心地の悪さ、窮屈さはいつだって感じていた。でも、じゃあ男に生まれればよかったと思うかというと、それもやっぱり違って(昔はちょっと男のほうがいいとか思ってたけど)、私は女として生きていきたいと思ってる。男性と闘うのでも、同化するのでもなく、女のまま仲間に入りたい。あの、「ロック、ストック〜」の4人を見てるとほんとに楽しそうで、ああいう関係いいなあって思う。「女を排他しやがって、ふざけんな!」って怒ることのできない魅力があるでしょう、彼らには。私は彼らを攻撃するんじゃなくて、彼らの仲間になりたいんだよな。叶わぬ夢でも。リッチー映画を観るとき、少なからずこういう精神が私の中で働いているんだと思う。女として生きたいけど、男だけの関係ってすごく楽しそう、どうにか女のままあの輪に入れないものか、と。リッチーは俳優を「お友達感覚」で撮る。だから彼の作品を観ている間、ちょっと彼らの仲間になれような気がする。たぶん男性も、仲間になった感覚で観てるんじゃないでしょうか。だから男性人気が高いのかなあって。

私がリッチー映画に惚れ込むのは、萌えゆえじゃない。英国文化に思い入れが強いのは、そういう複雑な感情が働いているのです。そしておわかりかと思いますが、こんなふうにコンプレックスこじらせてる私は現実では全然男の子の輪に入れていないのです(笑)。本当はすごく仲良くしたいんだけどなあ。

最後に、「シャーロック・ホームズ」の撮影風景からお気に入りの1枚を。ガイたんとジュードとダウ兄です。仲良さそうでしょ?私もこの撮影に参加したいくらいだ。