もやもやする

ブログって、かなりパーソナルなものじゃないですか。もちろん、ネットというのは世界中に広まってて、私のどうでもいい日記をサウジアラビアの石油王が読む可能性だってある。でも結局一般人のブログを読む人数なんてたかが知れてて、だからブログってパーソナルなものになるんだと思う。逆にツイッターは、かなりの人の目に晒されてて、それでたまに、身内しか読んでないブログと同じ感覚でつまんないガセを流した人が袋叩きにされちゃったりする。……………さて、ここまで書いたはいいけど、この先何を書きたかったのか忘れた。どうしよう、ほんとに忘れちゃったんだけど。

まあいいや。こういうあてのない、ふらふらと思考を漂うブログをずっと書きたかったんだよね。映画レビューとかライブレポとか書くのも楽しいけど、私がブログで書きたいのは、日々思いつくどうでもいい事柄なんです。ツイッターの速すぎるTLの流れの中で「つぶやく」にはあまりに気恥ずかしく、即座に140字の断片として散らばってしまうには惜しく感じられる愛着のある事柄。そんなこと、パーソナルな場所でなければ書けない。でも「公開する」という緊張感がなければ、毎日書き続けることができないだろうし、文章としても思考としてもおかしくなりそうで、だから私は公開されたパーソナルな日記、ブログを始めたわけです。何とかうまくまとまったな。

今回のエントリのタイトルは「もやもやする」なんですけど、15分くらい前の私はいったい「ブログって、かなりパーソナルな〜」という書き出しからどうやって「もやもやする」内容に繋ごうとしたんだろうか。まったく思い出せません。でも、もやもやの内容はちゃんと覚えてます。ツイッターみたいにあらゆる人の考えがどっと流れ込んでくるメディアを使ってると否応なく現れる、もやもやした気持ちのことです。(かなり衝動的に書き出してしまったので、自分でも何が言いたいのかよくわかってないぞ。)もちろん、今のところツイッターは楽しくやってるし、特定の方に対する不満とかじゃないです。あー駄目だ、あんまり思考が発展しない。今うまく文章が書けなくて、こっちのがもやもやする。あ、そうだ、「もやもやする」っていうのはとても現代的だと思いましてね。はっきりと「怒り」とか「嘆き」じゃなくて、「もやもや」っていう。私は中学生くらいまでとても怒りっぽくて、すごく主張がはっきりしてたんだけど、今はめったなことじゃ怒んない。そのかわり「もやもや」は増えた気がする。こういう怒りに昇華されないもやもやってモダン
の産物な気がする。

ここ数日映画観たり、ライブ行ったりして、ブログに書くネタも尽きないんだけど、毎日毎日触れてるとちょっと刺激がなくなってくる。いっぱいインプットしたあとは、それらについてしょーもない考察をする時間がとても楽しい。それからまた新たに何か評論を読んだりすると、すごく刺激になる。だからこのインプットとインプットの空白がとても重要なんだよね。それで今インプットばかりしてるから、考察タイムがほしい。でもDVDを5枚も借りてしまったので、毎日観なきゃいけない。自分が悪いんだけどね、でも今日思いたったことを今日やるってことができないのは、まさにモダンライフだなと思って。これもとてももやもやする。もちろん私はモダンライフを謳歌してますよ。ツイッターで承認欲求を満たし、ブログでしょーもないことを吐き出しているけど、でも現代の空虚さにすとんと落っこちてしまう日もある。そしてこの矛盾こそモダンライフ最大の特徴という気がして、ちょっと笑っちゃうんだな。

読み返してみると、しょーもない思考があちこちに飛び散らかった駄文すぎてどうしようもないけど、まあこんなことを書くのもたまにはいいでしょう。次は「プラネット・テラー」と「デス・プルーフ」について書きます。