蹴りたい背中

綿矢りさの『蹴りたい背中』をようやく読んだ。

蹴りたい背中

蹴りたい背中

本当に「ようやく」である。芥川賞を受賞したたいへん有名な作品であるが、今まで読んだことがなかった。話題になったのは何年も前であるし、最近では作者の新作も発表されたから、かなり今さらではあるんだけど、読んでよかった。本当に。



孤独な高校1年生の主人公・ハツのモノローグから話は始まる。

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。


私は、この作品を傑作たらしめるには、この一節だけでも十分すぎるように思う。それくらい凄いライン。16才の少女の鋭敏すぎる感覚。ささくれだった指のようなヒリヒリした痛み。読んでいる自分も同じように「胸を締めつけられ」てしまう。この冒頭以降も、ハツの研ぎ澄まされた感覚は、彼女の孤独や同級生の男子にな川に抱くなんともいえない感情を鋭く描写していくわけだけど、特にこの冒頭の一節は凄い。逆にこの一節を超えるラインはないんじゃないかというくらい、私はこの一節に悶絶した。

私は明らかにハツ側の人間だ。といっても、ハツのように一人でお弁当を食べたりはしないけど。それでも彼女の孤独はよくわかる。高校に入ってまだ2ヶ月、周囲と馴染むのがヘタクソな人間はどうしても摩擦を生んでしまう。そのジリジリした熱さと痛みは本当にしんどい。そしてそういうときほど、感覚は必要以上に研ぎ澄まされて、周りのことだけはよく知っているのである。どこだったか、中学時代の友人・絹代がクラスのみんなと全く関わりのないハツがクラス内事情をよく知っていて驚く、というような場面があったけど、あれはすごく共感した。本当にその通りだもん。だからハツの感覚はあんなにナイフのように鋭い。そんな彼女だからこそ、にな川に対して抱く恋のような、でも絶対に恋と呼ぶことのできない感情を、あんなに的確に、読むほうもハツと同じように感じられるほどに、描写できるんだろう。

18才になり周囲ともうまくやっていけるようになった(まだ完全に馴染めてはいないけど)私には、懐かしさすら感じさせる青春小説でした。16のときに読んでみたかった。