「ミッドナイト・イン・パリ」メモ2

(一応昨日のつづきです)

この映画には、主人公ギルが文化の黄金時代と考える、1920年代の作家や芸術家がたくさん登場する。ヘミングウェイは力強く生や愛を語り、シュルレアリストたちの会話は本当にシュールで、フィッツジェラルドはやっぱり妻ゼルダに振り回されながらも強く惹き付けられている……というように、ここで描かれる芸術家たちは、みんないかにもそれらしく、イメージ通りで、チャーミング。冒頭の観光客目線で切り取られたパリの風景と同様に、彼らはまさにギルが憧れ夢見る姿そのままで現れるのだ。それはギルがタイムスリップを繰り返し物語が終盤に至っても変わらない。大好きな芸術家たちは最後までギルが思い描くままの魅力的な人々であり続け、「夢が壊れる」ということは決してない。

じゃあ、そんな素敵な人々に囲まれた最高の時代に生き続けようよと言うのかというと、実際にウディ・アレンが発するメッセージはそれとはまったく逆のものだ。「僕たちが生きてるのは、過去じゃなく今だ、今を生きよう」とウディは軽やかに語りかける。確かにギルがタイムスリップした1920年代は彼にとって夢のような世界だけれど、それはやっぱり「夢」であって、彼の生きる世界じゃない。そのことにギルが気づくときのささやかさがすごくいい。大したことじゃない当たり前のことにふと気づく、その小ぶりで洗練されたかんじ、それがこの映画のチャームだから。そして、ギルはそれまでと変わらぬ(あるいはそれまで以上の)かの時代への愛と敬意を持ったまま、現在へと向き直る。この姿勢がなんとも素敵ではないか。過去を愛することと今を生きることは別のものだよね。

私はウディ・アレンというと「アニー・ホール」が大好きで、あの止まらないしゃべくりにどうにも惹かれてしまうのだけど、その点ではこの映画はちょっとおとなしいかもしれない。もちろん婚約者一家や「教養人」に対する皮肉はたっぷり利いているし、十分にしゃべりまくってはいるのだけど、一昨年公開の「人生万歳!」なんかに比べると、ノンストップに繰り出されるシニカルなユーモアは抑えられている。そのかわりロマンティックで優雅なムードが添えられていて、そんなエレガントな映画の空気に主演のオーウェン・ウィルソンはぴったりはまっている。「パリとジャズエイジに恋するロマンチスト」としてのウディの分身を演じる上で、彼のふんわりとした柔らかさは不可欠だったと思う。一方で「人生万歳!」の主人公ボリスは「ネガティブ思考の理系インテリ」としてのウディの分身であり、演じたラリー・デイヴィッドは見事に気難しそうで偏屈なじいさんに見えていたけども、こういったことからウディが自分の分身を造形する際、その分身に自分のどのような側面を託すかに応じて、きっちり俳優を使いわけているのがわかる。自作に出演することがほとんどなくなったぶん、ウディは様々な俳優を起用しわけることで、自分自身をいろんな側面から描けるようになったのかもしれない。

現在も精力的に制作活動を続け、最新作To Rome with Loveでは久々に出演も果たしたウディおじいちゃん。懐古的趣を持ちながらもノスタルジーとは明確に決別するフレッシュな姿勢を示した彼から、まだまだ目が離せません。