アニマル・キングダム

オーストラリアのデイヴィッド・ミショッド監督のデビュー作にして、タランティーノが2010年のベスト3に選んだ話題作。80年代にメルボルンで実際に起きた事件から着想を得たそうな。以下4段落目でストーリーの核心に触れてますのでご注意。

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やりたいことは最初からはっきりしていて、そこに至るまでの筆致の確かさを楽しむ映画というか。犯罪を生業とするグループとその解体を目論む警察の対決を描いた作品としては昨年の「ザ・タウン」を思い出したりもするけれど、根っこの部分がかなりロマンティックだったあの作品と比べると、こちらは冷めている、というか、すごく不思議な温度の作品。抑制の効いた語り口で、肝心なあの瞬間まで、感情が流れ出ていってしまわないよう丁寧に丁寧に不穏な空気を作っていく手つきは、新人監督とは思えぬほどの落ち着きっぷり。一度として過剰だったり欲張りに感じたりする演出はないけれど、かといってソリッドとかタイトとはまた違う輪郭のぼやけたかんじが独特の不安感を生み出している。無駄がないといっても淡白ではなく、度々の省略演出に見られるような大胆さもありながら、開けっ広げではなくスマート。これをデビュー作でやっちゃうっていうのは、凄い。

母を亡くし犯罪一家である祖母の家に身を寄せることになった主人公のジョシュア少年は、どんな時もほぼ無表情で何を考えているのかわからない。その思考の読めなさがサスペンス的な緊張感をもたらしていている。死んだ母を隣にしても涙どころか悲しみの表情すら見せずテレビに視線を送る彼は「感情がない」ように見えるかもしれないが、個人的には感情そのものがないというより、それを表に出すことを知らず現実を受け入れるしかできないという印象を受けた。彼自身、冒頭のナレーションで「ガキは環境に合わせるしかないんだ」というようなことを言っていて、自分の振舞いについてはとても自覚的だと思う。誰かが死んだからといって取り乱してもどうにもならないし、無力な子供は現実に順応するほかない。犯罪やドラッグ、そしてそれらによってもたらされる死が当たり前に存在する世界で、彼はきっとそんなふうに育てられてきた。一連のシーンから彼の育った環境が読み取れる。

現実に順応するしか術を知らないジョシュアは、言ってみれば、語るものがないのではなく主体的な語り方を知らないんだと思う。だから「語られるはずのものが語られていない」ような空洞感がずっとあって、それがおそらく先述した輪郭のぼんやり感や不思議な温度感に繋がっている。普通描かれるべき主人公の心情も犯罪一家に投げ込まれた少年のもがく姿もなく、ぽっかりと穴が開いたように何かが足りない。この作品の、筆致はしっかりしているのに終盤まで漂う不安定さはそこからきているんじゃなかろうか。

だからこそ、そんなジョシュアの思いが遂に行動になる瞬間が、決して派手ではないけれど躍動感を感じさせる印象的なカットになっている。それは彼がようやくした語りだろうし、あるいは環境に合わせるだけの子供だった彼が「動物たちの王国(=コディ家)」の正式な一員になった瞬間と言えるかもしれない。とすると、そこにはやはり子が群れの長たる父を殺して群れを乗っとる「父殺し」の意味合いもあるのかもしれないけれど、殺した相手は父でもなければ父的存在でもない。そんなふうに、この映画にはずっと歪みがある。

まあしかし何といっても、私にとってはいい顔の俳優たちをたくさん見られたことが一番嬉しかった。キャスティングも的確で、犯罪一家コディ家の面々は皆魅力的な顔でそのキャラクターを物語っていたが、中でも白眉だったのはジョシュアを演じたジェームズ・フレッシュビルの凍った表情と不気味な微笑、長男ポープを演じたベン・メンデルソーンの静かに加速する狂気、そして母スマーフを演じたジャッキー・ウィーバーのドギツさだろうか。刑事レッキーを演じたガイ・ピアースのため息をつく色気もやっぱり捨てがたいけれど。魅力的な顔の揃った映画はそれだけで観ていて楽しい。