人生はビギナーズ

なかなか感想がうまくまとまらなくて困ってしまったので、簡単に思ったことだけそのまんま書きます。

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60年代のアメリカに生まれ、ユダヤ人であることを隠していた少し変わり者の母とゲイであることを隠し「正常(当時のアメリカではゲイは精神病と見なされたという言葉が劇中で出てくる)」になろうと努めた父との間に育ち、おそらく生活に不自由したことはないけれど、両親の冷めた関係を見ていたからか深く誰かと関係を築くことに臆病で一歩踏み出せずにいる主人公の「なぜか心は空っぽ、独りぼっち」という漠然とした喪失感/孤独感に、ある種の傲慢さを感じてしまい(あまり類型化するのはよくないが、アメリ中産階級特有っぽく感じた)、どうにもこの映画の「雰囲気」に乗りきれなかった。時の大統領の顔写真やかつての映画スターのブロマイドといったわかりやすいアメリカ的なイメージの連鎖もその傲慢さに対して作家が無自覚であることを浮き彫りにしているようで微妙な気持ちに。

ただそういうことがさほど気にならないこともあり、その違いは何なのだろうと考えてしまった。というのも、この映画には「雰囲気で語る」語り口や監督の経験をベースにしたパーソナルな作品であるという点にソフィア・コッポラの「SOMEWHERE」との類似を感じていて、「SOMEWHERE」も傲慢さを批判されることがある作品なんだけれど、私はそちらにはあまり嫌なかんじは受けなかったのだ。それは映画を観る前から作家についてよく知っているか否かの差なのか、観賞時の自分のコンディションに関係しているのか、作品の評価がよくわからなくなってしまいました。

ユアン・マクレガーメラニー・ロランクリストファー・プラマーといったキャストの力に依るところの大きい映画でもあった。困った表情をさせたらユアンほど魅力的な人もそういないし、メラニー・ロランの美しさとレフティの色気にもうっとりする。ゲイであることをカミングアウトし余生を満喫するクリストファー・プラマーの「やっと人生を見つけた」という"人生のビギナー"としての笑顔も素晴らしい。このキャストだからこそキュートに見える。じゃあこのキャストじゃなかったら?そんなことを考えてしまう時点でこの映画にはハマらなかったということなんだろうけど、なんだかすべてが私の中で噛み合わない作品でした。