コンテイジョン

おもしろかった!……のだけれど、自分の琴線に触れるかんじではなくて、あまりに「期待通りすぎ」たこともあってか、「普通におもしろい」というよくわからん感想になってしまった。

開始早々グウィネス・パルトロウが泡を吹いてたいへんなことに!謎の感染病が世界中で流行。人類は大きな危機に直面する。


スティーヴン・ソダーバーグ監督最新作。キャストはグウィネス以外にも、マット・デイモンジュード・ロウローレンス・フィッシュバーンケイト・ウィンスレットマリオン・コティヤールとたいへん豪華で、それを売りにした宣伝が行われていたわけだが、当のソダーバーグ監督はそんなことまったく気にとめず、肩肘はらずに飄々と撮っているかんじなのが功を奏している。これがソダーバーグ節?

アメリカの一般家庭、WHO、疾病予防管理センター、中国の農村etc...と、様々な角度から感染病の流行とそれに対する人々の闘い等を描く群像劇の形をとっているのだが、豪華キャストの群像劇というと時として話を盛り込みすぎたり冗長・散漫になったりしてしまいがちなところを、本作は非常にソリッドに、タイトにまとめあげている。無駄のない構成や編集の手際のよさは際立っていて、いろんな場所でいろんなキャストとともに撮りだめされた素材の中から、必要なぶんだけを的確にピックアップし、余情に流れることなくスピーディーに繋ぎあわせることで、贅肉のまったくないスタイリッシュなボディを作り上げる。その素材の取捨選択のスマートさには感嘆。

また、忙しいスケジュールの合間をぬって撮影に参加したのであろう主要キャスト陣はほとんど同じ画面上で共演することがないのだけれど、彼らをそれぞれ別の場所に配置することで世界の全体像が俯瞰でき、各々のエピソードは巧みな編集の求心力でバラバラになることなくしっかり一つの物語の上でまとまっている。

そのように、各地の状況を並行してスピーディーに描くこと自体が、すさまじい勢いで感染が世界中に広がっていく様の表現になっているのがおもしろい。極めてソリッドなつくりで、ウェットなドラマがカットされているため、恐怖が世界を覆っていく過程も容赦なく冷めたタッチで描れている。人の手が触れた後のドアノブやつり革などが執拗に、それでもやっぱり過剰にならない程度に映され、人間が生きていくために必要不可欠な「コミュニケーション」そのものが死への危険性(=感染源)を孕んでいるという紛れもないけれどあまり直視したくない事実を見せつける。

先ほどウェットなドラマに流れずひたすらソリッドであると言ったけれど、しかし人物描写が薄っぺらなのかと言えばそんなことはなく。良心と悪役の安易な対立構図を避け、それぞれの人物の身体と行動に人間性を込めることで、優しさもズルさも同時に備えた(というかこの二つが密接に関連しているところがよいよな)「一人一人の人間」が立ち上がってくる。映画全体はドライな感触なんだけれども、描かれる人物にはしっかりと体温がある。

と、まあ基本的には誉めるところしかないのだけれど、それでも自分の中でそこまでグッとこなかったのは、映画というよりシミュレーション映像のように感じてしまうのが強かったからなのだろうな。良くも悪くも「スマート」な映画で、歪な部分がまったくない。また、あらゆる状況を網羅的に描いているためにどうしても個々のパートが均質になってしまい、何か一つ突き刺さるものというのもなかった。もちろんこれまで書いたきたように、ドライながらも必要な描写はちゃんとあって、スピーディーでスリリングな映画なので、単に今一つ自分の求めていた「映画的な興奮」とはズレてしまっていただけなんだろうと思うけど。あるいは、私の想像する「感染病が流行したらこんなふうになるだろうな……」というイメージがあまりに見事に形になってしまっていたので、そこに驚嘆するより、むしろ感覚が麻痺してしまったかんじがある。高度なことをやっているのに「普通」という感想が浮かんでしまったのはそれ故かもしれない……でもそうだとしたらそれは逆にすごいことだ。

元々のお目当てだったジュード・ロウマット・デイモンはまったく正反対の役柄で楽しい。単に一人の人物であるだけでなくインターネットの功罪等を象徴化したキャラクターとして意地の悪い演技を見せたジュードも相変わらずよかったんだけれども、やはりここで挙げたいのはマット・デイモン。大活躍だった一年を締め括るにふさわしい集大成的な仕事ぶりで、ルックスのコンディションも今年一番に私好み。絶望する世界を生き抜いたあの熊さんのような背中が涙で震える最後はもうどうしたらいいかわからなくてムズムズしてしまった。あの背中には彼のもののみならず世界全体の善き心が背負い込まれている気がする。