ミッション:8ミニッツ

元々そこまで楽しみにしていたわけじゃないんだけど、たまたまタイミングがあったので公開初日に観に行って、たいそう惚れ込んでしまった。この映画のことを思い出すと愛おしい気持ちになるし、誰かがこの映画を誉めていると嬉しくなるし、この映画に出会えてよかった!って思うし、なんかもう抱きしめたい。しかし映画は抱きしめられないのである。

デヴィッド・ボウイの息子であることでも有名なダンカン・ジョーンズ監督の長編第二作。以下この作品と監督のデビュー作である「月に囚われた男」についてつらつら書くので、未見の方はご注意を。(ネタバレしています)

シカゴへ向かう列車や通り過ぎる風景を雄大に映し出す空撮とヒッチコック風味の音楽で始まる冒頭のシークエンスからして、ほぼ宇宙船内のワンシチュエーションで神経症的な音楽と共に淡々と進行する「月に囚われた男」とは雰囲気がまったく違うので驚いたが、しかしそのサスペンスの王道を押さえた幕開けにドキドキワクワクが募る。ダンカン・ジョーンズ監督、長編二作目にして堂々とした立ち上がり。最初は一作目が良作だっただけに構えながら観ていたが、すぐに映画の世界に入り込んでしまった。


主人公のスティーヴンス大尉は目を覚ますとなぜかシカゴ行きの列車に乗っていることに気づく。目の前には見知らぬ女性。ショーンという別人の名前。鏡に映るのは別人の身体。突然の爆発。これで死んだはずが、今度は暗く狭いコクピットのようなところに。

すると彼の前にある画面上にグッドウィンという米軍のオペレーターが表れ、スティーヴンスが列車爆破テロの被害者の意識に入り込みテロリストを割り出す特殊任務についていたことを告げる。しかし、この任務がちょっと独特。というのも、任務の目的がテロリストを見つけ次なるテロを防ぐことであるため、列車爆破から乗客を守ることはできず、任務開始から8分経つと爆発が起こり元の世界に戻ってしまうのだ。つまり「シカゴ行きの列車が爆破され乗員乗客全員が死亡した」という事実はどうしたって変えることができない。


本作と「月に囚われた男」は、作品の雰囲気はまったく異なるが、描かれるテーマはほぼ同じと言っていい。ミッションを繰り返す中で隠された真実に気づきはじめる主人公。揺れるアイデンティティ。公のためにないがしろにされる私。「囚われた男」。自分(の身体)は自分自身のものか?はたまた他の誰かのものか?――私が今まで私だと思っていた私でなかったと主人公が気づいたとき、悲しみを背負いながら本当の「私」を取り戻すべく孤独な闘いに挑む点はどちらの作品にも共通しており、そこにダンカン・ジョーンズの一貫した反骨精神を見ることができる。

しかし本作は、ひたすら淡々と地味であった(そこが魅力である)「月に囚われた男」から一転して、主人公が特殊で過酷な状況に追い込まれながらも恋に落ちることで、SFにおいてとても重要な要素であるロマンチックさを獲得している。「極限の状況における恋」に弱いなんて、私もなんだかんだでロマンチックなものが好きだ。それに、恋する女の子のために奮闘する主人公スティーヴンスを演じたジェイク・ギレンホールがとても愛らしい。眉毛をきゅうっと下げる困り顔やポッドの中で震える姿はちょっと犬っぽく、エモい演技がロマンチックな作品の雰囲気とぴったりマッチしている。恋のお相手、列車の女性客であるクリスティーナを演じたミシェル・モナハンは大きな瞳が可愛らしい。この二人がカップルを演じたことで、映画に愛らしさが加わったように思う。

また他の役者でいうと、グッドウィンを演じたヴェラ・ファーミガが素晴らしかった。序盤は淡々と仕事をこなし表情も堅い彼女だが、次第に主人公にシンパシーを寄せ、公と私(というのはもちろん先述したような意味で)の間で揺れはじめると、どんどん美しくなってくる。

涙が溢れてくるのは、やはり各所で話題になっているストップモーションの場面。残されたわずかな時間を、私のために、私の愛する人のために生きようとした主人公が、最高の一瞬を記憶に焼き付ける。それは彼の孤独な闘いが結実した瞬間でもあったと思うし、そうした「私の闘い」をメランコリーと共に、しかしながら力強く描くというのには、ダンカンの父がやってきたこととも重なって見えて、その精神はしっかりと継承されているのだなあと思ったりした。

しかし、そんな美しいファンタジーのまま終わらせず更にその先を示すところこそダンカン・ジョーンズらしい(ダンカンは脚本に元々なかったラストを付け加えた)。「月に囚われた男」でも余韻を残すことなくあっさりと答えを出してみせ賛否両論を呼んだが、今回もラストには様々な意見があるだろう。私としては、このファンタジーに終止しない「すべてを描く」徹底ぶりは、彼の「自分を取り戻す」物語を描く上での意志の強さの表れなのだと思う。

これは解釈というより私が観ていて感じたことだが、本作が描くのはあくまで「私は誰のものなのか?」や「私を公から取り戻す」ということである。したがって、スティーヴンスは最終的に乗客を救いたいと思うようになるが、それは「彼の希望」であって、他者への慈悲とか全体の利益を考えてとかではない。「みんなが幸福になること」を描いているわけではないのだ。そして私のために生きるということは、全体から見れば歪みを生むこともある。例えば、乗客の中で唯一取り戻されないショーンの人生だ。意識に入り込まれた人間の人生はどうやっても戻ってこない。知られざる可能性を秘めていたように思われた特殊任務ソースコードの欠点。このもやもやを感じることでようやく、私たちは「私を取り戻す闘い」を見届けたことになるのではないだろうか。


ダンカン・ジョーンズの一貫した姿勢と意志の強さにボウイの影を見たりしつつ、過酷でありながらロマンチックなストーリーに涙する傑作。「月に囚われた男」とあわせて観ると、その作家性がはっきり見え、どちらも片方ずつ観るより魅力が増すと思うので、二作とも是非。って、こんなにネタバレしている文章を読む方は両方観賞済みよね。