春になったら莓を摘みに(梨木香歩)

読了からかなり時間が経ってしまったけど、いい作品だったので感想書くよ。図書館から借りてたので今手元になくて引用できないのと、かなり曖昧な記憶を頼りに書く(読みながらメモをとっていなかった)ので細かいところは間違っているかもしれないのを、ご了承ください。

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

西の魔女が死んだ』などの著者である作家・梨木香歩さんが、自身の英国留学中の経験を中心に綴ったエッセイ。これまで自分の中でごく感覚的な認識としてあった英国文化・社会の根っこの強さを改めた確認した一冊。

英国留学記というと、お茶にガーデニングにピーター・ラビットの絵本の世界、と可憐で優雅な英国文化を紹介するイメージがあったし、タイトルも苺畑のかわいらしくのどかな風景を想起させるんだけども、実際のところ、そんなにのんびりと優雅にもしていられない、ハードでタフな内容であることは、第一章の「ジョーのこと」からすぐにわかる。

著者がお世話になっていたウェスト夫人の下宿で共に暮らしていたジョー。彼女の人生は波乱に満ちている。それは彼女自身が呼び込んだものではないのだけれど、彼女はそれを背負って生きていこうとする。なぜ?そんなことをする必要はないのに?そう周囲から不思議がられて彼女が返す言葉、「人間には自ら渦に巻き込まれにいく権利もあるのよ」が、まず胸をうつ。私がずっと英国文化の根っこに感じていたタフネスはこれなのだ。時には自分のためでなく誰かのために自ら荒波に飛び込み、それでも血を吐きながら逞しく生き抜いていく。一人の自立した存在として、人はどんな人生でも歩む「権利」がある。ジョーは「自ら」渦に巻き込まれるのだ。私たちにはなぜそんなことをするのか理解できなくても。

本書では、他にも様々な生き方、考え方をもつ人々が紹介される。部族社会であるアフリカで由緒ある家の子息として生まれた、超エリートの男性とその家族、ユーゴスラビアの内戦で目の前で両親を亡くし、お互いしか信じなくなった姉弟、一生を主人に捧げたメイド(というか乳母か)の女性など。彼らの中には、ジョーのように自らその生き方を選んだ人もいれば、周囲の環境によってその考え方が作られた人もいる。状況はそれぞれまったく違う。そんな彼らの生き方や考え方に一つだけ共通しているのは、日本でこのエッセイを読む私たちの大半には(そして著者やウェスト夫人にも)理解のできないものだということ。彼らの言動のいくつかに私は「なんて身勝手でひどいこと」と怒りを感じたこともある。本書はその「理解できない」ということを隠さない。というよりも、読み手がそれを認識するように書いている。

これはほとんど自戒になってしまうのだけれど、時に私たちは相互理解というものを軽く考えてしまうように思う。もちろん、他者を思いやる想像力は大切。でも基本的に他者の考え方、ものの見方を完全に理解することはできない。無理にわかったような顔をすれば、それは逆に押し付けがましく、他者を傷つけうるものになる。相手をどれだけ思いやっても、最終的には自分がもっている型の中で相手に一番あった形を選び当てはめるだけだ。それを「理解」と呼ぼうとすれば、たちまちそれは「暴力」になってしまう。私は最近までそのことをちゃんとわかっていなかったと思うし、だから読んでいてグサグサくるかんじが何度もあった。これまで自分はどれだけ「理解している」と勘違いしていたんだろうかと。

世界は自分の目からしか見ることができない――しかしそれは諦めではなくて、それでもなお、「理解できなくても受け容れる」のが、下宿先の主人であるウェスト夫人の生き方だ。彼女はどんな人にでも、受け入れ先がなければ部屋を貸す。この「理解できなくても受け容れる」が本書の最大のテーマ。それはいったいどういうことなのか?ウェスト夫人はどうしてそのような生き方を選ぶのか?それを見つめ、考え、筆をとる著者の姿勢はとても真摯で生真面目で、自分の視点が一貫して存在する。これは著者自身が「私は私からしか世界を見ることができない」と深く認識しているからこそであり、だから本書は最初から最後までまったく軸がぶれない。

ただ情けないことに、私のような怠惰な人間には、この軸のぶれなさが少し窮屈に思えることもあった。読んでいる間ずっと背筋を伸ばしていなくてはならないような緊張感があって、読み終えたときに疲れとは言わないまでも肩のあたりの重みを感じてしまったのも事実。特に後半、英国留学記の枠を越えて綴られるいくつかのエピソードに関しては、その文章の凛々しさのために読む速度が少し落ちた(自分のダメさ加減を痛感)。なもんで、私個人の好みとしては、生活雑記的な趣が強い前半のほうがいい。

しかしその軸のまったくぶれない強さというのには、このエッセイが書かれた時期も深く関係しているのだろう。途中までまったく出版年を意識せず読んでいたのだけど、ある時ふともしかしてと思い確認したら、やはりこれ2002年初版なのだ。最後のウェスト夫人からの手紙を読めばわかるように、本書は明らかに「9.11後の世界」を意識して書かれている。それを思うと、後半の文章の高尚さもずいぶんと飲み込みやすく、また自分の問題としても捉えやすくなった。