エッセンシャル・キリング

ヴィンセント・ギャロが雪の中をひたすら逃げる!それだけ!着るもの、食べるものの質がどんどんよくなっていくよ

お話としては、本当に上に書いたことそれだけ。米軍の捕虜になったアラブ兵が、移送されたヨーロッパの極寒の地(収容所か何かがあるのでしょうかね)で脱走し、とにかく逃げ続けるという。しかしこれがとてもおもしろかった。普段観ないタイプの映画ということもあってか、84分の短さながら見応えたっぷり。逆に観賞後は少し疲れたりもしたのだけど、なるほどーと思うところが多くて、いつもとちょっと違う観賞体験ができたのでよかった。

脱走したアラブ兵(最後のクレジットでようやくムハンマドという名だとわかる)には特に目指すべき場所はなく(どこの国かもわからん土地だし)、彼はただ生き延びるために追っ手の米兵を避け雪の中を移動する。彼を動かすのは「生きよう」という本能。逃げている間に彼がとる咄嗟の行動、致し方なくしてしまう殺し(=エッセンシャル・キリング)は、言語的な思考を介さないレベルで為されるのだと思う。ただ生きるために――その、生物ならば如何なるものにも埋め込まれている本能に従って、彼は見知らぬ土地をひたすら逃げる。時には(大半は、だろうか)言葉で考えることなく行動する。

ということを念頭に置いてか、本作は主人公の台詞を完全に廃しており、「逃げる」という動き・行為に焦点を絞っている。「逃げる」というか、「とにかく生きようとするための行為」といったほうが正しいか。とりたてて大きな仕掛けはなく、ひたすら「動き」を追っていく。言葉を廃し、動きに絞ったことで、映画がぐっと締まった。それに、見せたいものがはっきりしているのもいい。

本作を観ているときになぜか頭に浮かんだのが「127時間」。話は全然違う。雰囲気も違う。でもどちらも一人の男のサバイバルもので、話としては「それだけ」。この二作で大きく異なるのは、「それだけ」をどう見せるかの部分。(置かれる状況がまったく違うので一概に比較できないことは承知の上で)「127時間」のほうは閉ざされた狭い空間(ずっとその画だったら飽きる)を舞台にしながら、イマジネーション豊かな映像を次々に展開させることで、観客をひと時も飽きさせない工夫がなされていた。情報量を多くし、しっかりそれを捌きながらスタイリッシュに見せていくのが、とてもダニー・ボイルらしくてよかったと思う。一方「エッセンシャル・キリング」のほうは、逆に台詞を廃して情報を絞っている。とにかく生きるために逃げる、その動きそのものに特化している。見せ方はまったく異なれど、どちらもそれぞれにおもしろい。

(本作の話に戻って)

ただ、各シークエンスをかなりじっくり見せるので、次の動きが起こるまでの間がめちゃめちゃ長く、「これ以上いくと眠くなる」のギリッギリ手前でやっと何かが起こる。そのギリッギリ具合といったら、本当にギリッギリなのである。正直若干アウトなのではないかというくらいに。これはもう眠くなるか否かは個人差やその日の調子に因る部分が大きいのではないだろうか。たぶんここで賛否も分かれてくる。せっかく情報を絞ってタイトにしているのだから、あの間延び具合は少しもったいないかなあと思った。

最後に余談的なかんじで。

極限状態の様子というのは、ひどい話だが、端から見るとシュールだったりもして、ムハンマドが犬たちに取り囲まれるシーンなんかは妙におかしかった。あれは笑っていいのか何なのか。