127時間

「127時間」公開前にダニー・ボイル祭りやります!って言って「28日後…」しか観ていない私の有言無実行ぶりはひどい。

というわけで、結局ボイル作品は「トレインスポッティング」「スラムドッグ$ミリオネア」「28日後…」しか観ないまま「127時間」観賞しましたが、この3作品すべてに通じる、そしてボイル作品すべてに共通するらしい、爽やかな生命讃歌が本作にもやっぱりあって、それを期待していた人間としては、もうそれだけで満足だったりする。(以下これらボイル作品の、ネタバレってほどではないと思うけど、大まかな話の流れがわかってしまうかもしれないこと書く。「127時間」に関してはネタバレしてるかも)

やはりオープニング・シークエンスの疾走感がさすがダニー・ボイルというかんじで素晴らしい。朝の通勤ラッシュ。スタジアムでのスポーツ観戦。加速する現代社会で一日が流れていく。そんな中キャニオンへ向かう、本作の主人公アーロン・ラルストン。母親からの電話には出ようとしない。ダニー・ボイルは様々な情報を手際よくさばきながら、スプリット・スクリーンをスタイリッシュに使った映像のコラージュをダンスミュージックのビートにのせて非常にテンポよく駆け抜けるように見せていきます。このあいだ「アリス・クリードの失踪」の感想のところで映画における「準備」について書いたけれど、本作の冒頭も名準備シーンの一つに数えられるんではないでしょうか。特に車からマウンテンバイクに乗ってアーロンが飛び出す瞬間の気持ちよさは半端じゃない。個人的な好みとしても、あのオープニングはツボだった。というか、始まって5分くらいでもう「ボイル先生わかりました!あなたの抜群の映像・音楽センスはわかりましたから!」というかんじで撃沈していた。

それからあの予告でも流れる湖に飛び込むシーンの美しさに浸り、そしてアーロンが岩場で足を滑らせ転落し、岩に手を挟まれて「127 hours」とタイトルが出た瞬間にはあまりのかっこよさにはっと息をのんだ。あの静かな昂揚感。あれを体験させてくれただけでも、この映画を観てよかったという気分になります。

ただ、若干「狙いすぎている」感はあった。ツボを心得すぎているというか、とてもかっこいいんだけれど一歩間違うと鬱陶しくなってしまいそうな。その寸前のところで回避していたと私は思うけれど、本当にコップから溢れるか溢れないかの微妙なところだったかなと。しかしそれでも嫌味なかんじにならないのがダニー・ボイルの陽性の魅力であって、これはボイル作品の底流にある「生へと向かう力強くポジティブなエネルギー」ゆえのものではないでしょうか。

ここからはボイル作品を3つしか観ていない人間が勝手に考えたことだけれど、「トレインスポッティング」でも「28日後…」でも、ダニー・ボイルは「閉じていることの恐怖」をうまく使っていたと思う。出口のない閉塞感。どんづまりの絶望感。それを視覚的にも表現していて、少し前に「トレインスポッティング」を再見したときには、あえて画面の狭さを意識させる画づくりにしている(食卓が部屋の壁際に寄せられているとか)のだなと感じた。上記のボイル作品はどれも、そんな出口のない狭く閉じた世界になんとか一撃を喰らわせて穴を開けてぶち破ろうとする人間の物語で、その逆境に打ち勝つ生の輝きがボイル作品の魅力であると思う。

そして、今回も閉じています。アーロンは岩に手を挟まれ、人目につかない谷間で身動きがとれなくなってしまい、助けの声も誰にも届かない。閉所の恐怖(しかも一人)がやっぱり本作にもある。しかし本作の場合、出口は最初から確実に見えていた。アーロンの頭上には谷の隙間から空が見えていて、一日の決まった時間に鳥が飛んでくる。そして朝には暖かな陽射しが射し込んでくる。出口はもうすぐそこにある、それはわかっているけれども、身動きがとれない。行動を制限する鎖に繋がれてしまっているから。この鎖をどうしたらいいのか。さあ頭を働かせろ――というように、本作では、閉所に無理やり穴をこじ開けようと一発逆転・起死回生の一撃を喰らわすことより、「この鎖をどうするか」という現実的な問題解決に目が向けられているように思います。

だからアーロンの下した決断も、どうしても内容がショッキングなために超人的な行動のように思えるけれど、実際は冷静に状況を判断した結果であるし、彼は幻想の世界に半身もっていかれながらも、最初から最後までずっと現実に片足を置いておくことを忘れていなかったと感じた。そして彼が正気を保つために、現実に片足残すために使ったのがあのビデオカメラで、つまり本作は一人の人間が現実と幻想の狭間で自分を見失わないよう闘い抜いた姿を刻名に記録したメディアの物語でもある。それはまさに現代だからこその物語であるし、ダニー・ボイルはオープニングからずっと「現代的」であることを徹底しています。

一方で、現実と幻想が溶け合ってその境界を曖昧にするようなイマジネーション溢れる映像もおもしろかった。ほぼワンシチュエーションの一人芝居ながら、そうした幻想的な映像を次々に組み合わせることで観ている人間をまったく飽きさせず、作品をとてもエキサイティングなものにしている。そしてなんといっても、アーロンを演じたジェームズ・フランコが素晴らしい。彼のキャラクターと役柄がぴったり合っていたというのもあるけれど、本当に大仕事をやってのけた。最後の笑顔は(フランコが演じる)アーロンのものであると同時に、この大仕事をやり遂げたフランコ自身のものという気もして、「お疲れさまでした、そして素晴らしい映画をありがとう」と言いたくなる。

脱出後に映る自然の風景は、もはや冒頭の暖かくアーロンに微笑みかけてくれたものとは丸っきり違うものに見えて、「そんな甘いもんじゃない自然」を実感させられるんだけど、そんな自然に笑顔を向け世界を丸ごと愛そうとするアーロンの姿に、なんだか憧れめいたものを私は感じてしまうのでありました。