アジャストメント

こないだ「アンノウン」を観たとき、一緒に行った友達が大のリーアムファンで、リーアムが奮闘する姿さえ見られれば幸せというかんじだったのがすごく羨ましくて(私はいまひとつ乗りきれなかったのでね……)、「いいもん、私も『アジャストメント』でマット・デイモンに萌えるもん!(ライミングした)」と思っていたのだが、そういう映画じゃなかったですね、これは。

あんまりいい評判を聞いていなかったのでハードル設定は低め、マット・デイモンさえ見られればそれでいいかなーくらいの気持ちで観たのだけれど、いや、別に悪くないよ。むしろ、けっこうおもしろかった。

原案はフィリップ・K・ディックの短編「調整班」。人間が己の運命から逸脱しないよう監視する"調整局"によって、実は人間の行動は管理されている。あらかじめ決められた運命に人間は抗うことができるのか。

さあ、この奇抜な設定をどう見せるか。見せ方によってはとんでもないことになりかねないわけだが、本作の場合、壮大に風呂敷を広げてしまうことなく、シンプルなコメディタッチのラブストーリーに落とし込んだのがよかったと思う。世界を救うとか人間の使命は云々とかよりも、君と一緒にいたいし、二人は一緒になる運命じゃないって言うんなら、俺は徹底的に運命と闘ってやる!という。運命に抗う理由がごくごくパーソナルなものであるからこそ、誰のためでなく自分のために本気で闘うことができるし、そこで「世界は……」とか「人類は……」とか言ってしまうと、どこかに嘘が入ってしまう。もちろん、ヒーロー映画を否定しているわけではなく、世界のために何かをするということが陳腐なものになってしまったとは思わないけれど、やっぱり今それをやるには越えるべきハードルが多いというか。ヒーローになるより愛する人と笑い合っていたい、これが今の気分なんじゃないだろうか。

だから、この映画でとても重要なのは、「主人公とヒロインが一緒にいるとき、いかに幸せに見えるか」であって、その点ではマット・デイモンエミリー・ブラントもかなり頑張っていたと思う。最初はアンバランスなカップル?と思ったけれど、呼吸がぴったりあっていたし、タイプの違う二人だからこそ、相性のよさが際立っていた。また、「二人が一緒になることで強さが手に入れられる」とか「二人だから何かができる」という関係にするのではなく、ただ「二人一緒にいると満たされる、幸せになれる」という関係にとどめたのが重要だと思う。二人はヒーロー、ヒロインではない。ただ傍らにいて、時をともに過ごしてほしいから、それを許さない運命に立ち向かうのだ。

人間を運命通りに動かす"調整局"の連中は、人間ではなく、魔法らしきものが使えるのだが、その仕事ぶりはプロフェッショナルとは言いがたい。気づいたらターゲットが通りすぎてるとか、初歩的なミスにもほどがあるだろ、というね……。灰色のコートに山高帽という出で立ちが妙にかっこよく、その帽子が異次元へのキーアイテムになっていたり、ドアを開けると全然違う場所にワープしていたりと、小技で遊びをきかせているのがおもしろい。「"調整局"によって運命を調整されている」という設定ありきの話ではあるんだけれど、その設定に引きずられず、あくまでラブストーリーに軸をおき、"調整局"は作品をより楽しくするディテールとして機能している。もちろん、"調整局"は物語に大きく絡んできます。でもストーリー面で果たした役割より、ヴィジュアル面や遊びの面で果たした役割のほうが大きいと思うのだよね。

映画の内容とはあまり関係ないが、この作品は帽子が重要なアイテムとして登場する帽子映画で、テレンス・スタンプアンソニー・マッキーもかっちょいい帽子姿を見せてくれるんだけれど、まさかの主人公のマット・デイモンが致命的なまでに帽子が似合わない……。前半でかぶっている野球帽は、おっさん度を格段にアップさせてはいるものの、似合わないってほどではないのだが、山高帽の似合わなさは異常。ぜひこれはスクリーンで確かめていただきたい。

運命は調整されているというSF設定を用いた新鮮なラブストーリーとして、始終楽しく観られる本作だが、全体的にちょっと野暮ったくはあった。音楽のセンスとか別に悪かあないんだけど、なんかもっさりしているというか。

最後に、ネタバレ気味の話。

人間がどのように生きるかが記された"運命の書"が存在し、それを書いた"議長"という存在がいるということで、この話の背後にはやはり宗教がある。しかし神や天使のイメージを"調整局"に落とし込み、映画には宗教くささをまったく感じさせなかったところがおもしろい。

ただ、最後の最後にきて、哲学的なスケールの大きさを持ち込んだのはいただけないと思った。あの最後のメッセージはいらなかっただろう。運命に抗ったのはあくまで個人的な理由からであって、悪く言えば利己的な行動だったのに、それを「人間はみな運命を変えることができる」とまとめるのはかなり無理がある。別にそんなこと言う必要ないのだ。ヒーローになることよりも愛する人と笑い合うことを選ぶ現代のラブストーリー、それで十分なのだから。ハリウッド映画らしい〆なんてなくていい。