ザ・ファイター

気づいたら近所のシネコンで公開終了が近づいていたので急いで観てきました。デヴィッド・O・ラッセル監督の作品を観るのはこれが初めて。

実在のボクサー、ミッキー・ウォードのボクシング人生を映画化した作品。舞台はマサチューセッツ州ローウェル。同じくボクサーであり、かつては街の誇りと言われたが、今やドラッグにハマりミッキーに迷惑をかけまくる兄ディッキー、強烈すぎる姉7人、彼らを束ねるこれまた強烈な母アリス、ミッキーを支える恋人シャーリーンなど、様々な人との関係を通して、負け続きだった三流ボクサーのミッキーが栄光を掴むまでを描いていく。

なんといってもオープニングが素晴らしすぎた。このつかみは今年観た作品の中でも抜群にいい。まず、ディッキーの再起を映画(このテレビ映画がまた後々のキーポイントに)にするというテレビ局のカメラに向かってディッキーがいろいろ喋る。道路舗装をするミッキーにちょっかいを出したりしながら、「俺は復活するぞー!」とか「次は弟の試合!絶対勝つぞ!」とかそんなことを言ってる間にカメラがディッキーとミッキーの後方に回って、「THE FIGHTER」のタイトルが出ると同時に一気の引きのアングルに。おお、かっちょええ。こういうかっこいいカメラワークをやられると弱い。ザラついた映像の質感もたいへん好みだ。

それから兄弟はローウェルの街を練り歩く。このときの「街の人気者」感(これ半分まやかしなんですか)がいいな。かつてはアメリ産業革命の中心として栄えながらも今では貧しい街になってしまったローウェルの人々にとって、兄弟は「希望の星」だったんだよね。そんな街の実状とこの街にとって兄弟がどんな存在であるかが、このオープニングからよくわかる。こういうことをさらっと見せてしまえる演出の巧みさよ。それに映像として単純にかっこいい。The HeavyのHow You Like Me Now?のファンキーなビートに乗って兄弟と一緒に通りをぐんぐん進んでいくトリッキーかつ軽快なカメラ回しが楽しい。このオープニングはほんとに素晴らしくて、開始10分にして「これは大傑作だろ!」とテンションがマックスまで上がってしまった。それもあってか、最後は意外にあっさり、すんなり終わって、「あれれ」と思ってしまったんだけど。

良くも悪くも、本作にはスポーツ映画特有の熱さや挫折から栄光を勝ち取った男のロマンといったものがほとんどなく、終始カラッと軽快なタッチに貫かれている。家族と外部の人間の確執、ディッキーの抱える薬物問題、警察沙汰など、描かれる内容はヘビーだが、シリアスに重たい方向には行っていない。作品に漂う空気はどこまでもヌケがいい。試合のシーンも大きな演出はせず、リアルなファイトであることにこだわったそう。この熱さや重さを極力排したドライなリアル志向は意図的なもので、映画全体に通じる「小気味よさ」は私の大好物であるし、これこそ本作の大きな魅力なんだけれど、同時に「あれれ」と思ってしまう一因でもあった。というのも、ほんとに最後の最後まで至極あっさりさっぱりしているんだもの。確信犯的にやっているとはいえ、少しもったいないというか、やっぱりもの足りない。オープニングでがっつり盛り上げてからのあのクライマックスは若干肩透かしかなあ、と。好みの問題、というのも多少はあるだろうけど、リアリティ追及のためのテレビ放送風映像のせいもあってか、ラストの感動がちょっと他人事っぽく思えててしまった。

演出はすごく巧みで、要所要所をおさえ作品の疾走感を一切殺すことなく、必要なことをさらりと説明/描写していく。だから最後まですごく楽しく観ることができたんだけれど、ちょっと駆け足気味で表面的だったかなあと思う。実話ゆえのユニークな設定を活かしきれていないというか。監督は「これはボクシング映画というより家族に焦点をあてた物語」と言っているそうなのだが、だとしたらもう少し個々の関係を根掘り葉掘り描いてほしかった。個々の絆、個々の確執、個々の問題……このへんが見えてこないので、観ている間ずっと「なんでこの家族はこんなにめんどくさいのに離れられないんだろう?」「なんでみんなこんなに強情なんだろう?」を考えてしまい、いま一つ物語に没入できずじまいだった。例えば、ミッキーの家族はなぜあれほどまで外部の人間を嫌うのか。たぶん、ディッキーが将来有望なボクサーだった時代に金儲けのために選手を酷使するプロモーターやジムのオーナーに散々会ってきたからとか、そんな理由があるのだろうが、このへんのことが劇中で描かれていないため、なぜ彼らの絆が束縛に近いほど強固なのかよくわからないのだ。外部の人間(ミッキーの練習を手伝ってくれるオキーフとか)は外部の人間でなぜあんなにむきになってミッキーの家族との協力を拒むのか。そういう設定の裏側があんまり見えてこない。それゆえ「とにかくごちゃごちゃでめんどくさい家族」以上の感情を彼らに対して抱けなかった。特に7人の姉が記号的だったのが残念だなあ。彼女達の描写にまで深く立ち入ってしまったら作品として収拾がつかなくなるのはわかるけど、非常にユニークな家族構成だっただけに、そこを活かしてほしかった。あるいはせめてミッキーとディッキーの絆くらいはもっと深く。例えば、あのちらっと映る子供時代の練習風景をもっと使うとか。

まあ、あんまり小言を言ってもしょうがない。出来はとてもいいし、話もおもしろいし、小気味いい映像/編集は非常に私好みだった。このドライさはとっても新鮮で気持ちいい。要するにこれボクシング映画とも家族の絆ものともちょっと違って、ジャンルとして一番近いのはコメディなんだよね。いろんな問題や確執を抱えつつ、前に進んでいこうとする人達――ファイターはミッキーだけでなく家族や恋人みんな――の姿を軽快なビートで見せていく、そういうコメディ映画。でも、それはわかっていても、やっぱりラストでは熱さを求めたくなるし、スポーツ映画は熱くてナンボのところもあるだろうと思う。最後まで非常に楽しく観れたのに、ラストでちょっと「あれ、こんなもんなのか」と思ってから気持ちが冷めてしまい、それゆえいろいろ言いたいことがでてきてしまって、それがすごく惜しかった。

しかし役者陣は皆ほんとによかった。まずはオスカーを獲得したメリッサ・レオクリスチャン・ベールの存在感。二人とも役自体がかなり強烈なのだが、完璧になりきっている。母アリスを演じるメリッサ・レオは、あのごちゃごちゃな家族を束ねる母の強さをスクリーンに焼きつかんばかりの迫力でもって表現している。兄ディッキー役のベールはお馴染みの(?)デ・ニーロ・アプローチで身体的な役づくりから徹底。なんと今回は痩せるだけでなく髪の毛まで抜いてしまったらしい。ディッキー・エクランドになりきろう、近づこうとして、最終的にディッキー本人を飲み込んでしまったかのような迫力。役にかける情熱と努力が溢れ出ている。

強烈な印象を残したこの二人に比べると、主演のマーク・ウォールバーグは少し没個性的にも見えてしまいそうだが、しかしこの薄さこそが本作においては重要。我の強すぎる兄や母の影に埋もれ、家族と恋人の間に板挟みにされて、「俺の試合くらい俺のやりたいようにやらせろ!」と思っているミッキーには一種の薄さが必要だから。ミッキーの真面目さと試合にかける切実さがウォールバーグの表情にしっかり滲んでいた。恋人シャーリーン役のエイミー・アダムスは普通にかわいいのがよい。ショートパンツの腰の部分にお肉が乗っちゃうリアルな体形が素敵。ウォールバーグとのバランスもよかったな。でもイチャつき方がすごいなって思ったけど(笑)。

ちょっと小言が多くはなってしまったけれど、カラッとしたコメディとして観ればよいのだし、そういう意味ではあの最後の「ご本人登場」はすごく正しい。