サンセット大通り

ビリー・ワイルダー監督の1950年の作品「サンセット大通り」を観た。

ビリー・ワイルダーといえば、数多くの傑作を世に送り出したハリウッドの巨匠。まだ彼の作品は数作しか観たことがないが、「お熱いのがお好き」「アパートの鍵貸します」はほんとに大名作だと思う。この「サンセット大通り」も傑作として名高い作品で、かつての栄光に浸るサイレント映画時代のスター女優ノーマのもとで、彼女が書いた脚本の手直しをすることになった売れない脚本家ジョーをナレーターとして進行するサスペンス。

劇中、ジョーが「もっと(脚本に)台詞を増やしたら?」と提案するのに対し、ノーマが「いいえ、すべては目で表現できるわ」と断る場面があるのだが、この台詞をそのまま映画に返したいくらい、前半は言葉による説明が多すぎた。とにかくジョーのナレーションがやたらと入ってきて、見ればわかることまで全部説明してしまう。何かしら狙いがあってのことなのだろうが、喋りすぎであまりにバランスを欠いていると思ったし、もっと画で見せてほしかった。男性主人公のモノローグを多用するのは個人的には好きなんだけれど、さすがに画で表現できていることまで口で説明する必要はない。後半になるとナレーションはだいぶ減るのだが、それまではずっと落ち着かない気分だった。

しかし不満はこの一点だけ。他は非のうちどころのない出来だった。一つよかった点を挙げるなら(この作品の素晴らしさについては様々なところで語られているので、私が今さら言うこともあまりない)、それは男女の関係性がユニークだったところ。まずジョーの立ち位置がおもしろい。一方ではノーマとの契約愛人的な関係があり、もう一方では映画スタジオの同僚べティとの対等なパートナーシップがある。この三角関係にどう決着をつけるかは書かないが、私はジョーの被害者ぶらないところと自分の都合のいいように持っていかないところが好き。男女関係をフェアに捉えているのがわかるから。ワイルダーってわりと男女関係や性に対して寛容というか、自由な感覚をもっている気がする。ノーマとその執事のマックスの関係もおもしろかった。この時代にこの男女の立ち位置を設定できるってけっこうすごいことではないだろうか。

それから古い名作を観るといつも思うが、昔の男優さんって画面を通して色気を伝える術を本当によく心得ていると思う。ジョー役のウィリアム・ホールデンもすごかった。

あの時代の役者ってみんな目力がすごいんで最初は少し怖いくらいなんだけれど、観ているうちにどんどん男前になっていく。特に、女優と向き合う場面で横顔の鼻筋から出る色気がとてつもないと思う。

この作品でよく言及される凝ったキャスティングについても少し。ノーマを演じたグロリア・スワンソンは本当にサイレント映画時代に活躍した大スター。現代の自然な演技とは一線を画す彼女の大きな演技(おそらくサイレント映画ではみなこれくらい大きかったのだと思う)に落日のスター女優の狂気を重ね合わせたところが素晴らしい。チャップリンの物真似をするシーンには彼女のエンターテイナーとしての才能も窺える。自分で自分を皮肉るような役にも見えるノーマを彼女に演じてもらうことができたのは、この作品にとっても大きな幸運だった。また、グロリアの出演作を手がけたことのあるエリッヒ・フォン・シュトロハイムがマックス役、バスター・キートンサイレント映画時代の名優がノーマのかつての役者仲間役、セシル・B・デミル監督が本人役で出演しているのもおもしろい。

ハリウッドの裏側を描いた作品として少しスキャンダラスな捉え方をされることもあるのかもしれないが、実際には映画への愛情が屈折した形で昇華された作品だと思う。

サンセット大通り [DVD] FRT-018

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