青春と「ファイト・クラブ」

今日は「ソーシャル・ネットワーク」2回目の観賞に行ってきました。詳しい感想はテストが終わってから書くつもりですが、一つだけ思ったことを書くと、この作品はやはり10年後の「ファイト・クラブ」だと思います。1回目の観賞のときから何となく思ってたことけど、今回の観賞で確信しました。

で、今日は「ファイト・クラブ」について書こうかなーと思う。モロにネタバレするのでご注意ですよ。





今さら私が言うまでもないだろうけど、「ファイト・クラブ」ってやっぱりあの時代の空気を見事に映像化した究極の青春映画だと思う。「あの時代」といってもこの作品が公開された1999年当時、私はまだ7才なんですけど(笑)。でもこの作品を観てると伝わってくるものがある。それは単に、主人公は「高級マンションに住み」「IKEAの家具を買い揃え」「高級ブランドの服に身を包む」「エリート青年」だけど「心は満たされず」「日々の生活に疲れている」といういかにも「現代人」な設定から伝わってくるわけじゃない。じゃあどこからかというと、映画そのものからなんだよなあ。映像を観ればわかる。そこに完璧に映し出されているから。それを言葉で表すというのはたいへん難しい。だからフィンチャー作品は私の中で言語化のハードルが高いのです。

この作品の青春映画としての側面が最も色濃く映し出されているのは、やっぱりあのラストシーンかなあと思う。崩れ落ちるビルを眺めながら、主人公がマーラの手をとり「出会ったタイミングが悪かった、これからはみんなうまくいく」と言った、あの甘美なラスト。私はこの作品を初めて観たとき、メイヘム計画はギリギリのところで止めることができるんだろうと勝手に思ってた。ビル群の爆破は回避できるんだろうと。でもそうじゃなくて、彼は自分の目であのビルの崩壊を目の当たりにし、ようやく一人の女性と向き合って彼女と繋がろうとする。そうしてやっと彼の青春にはけりがつくんだよね。そうして初めて彼はまっさらな地平に立つことができる。恐ろしいまでの熱狂をくぐりぬけて。彼は年齢的には立派な大人だけれど、このとき初めて「青春」というものを経験した。そしてようやくフラットな地点に降り立った。

そして既に「ソーシャル・ネットワーク」を観た人はわかると思うけど、「ソーシャル・ネットワーク」のラストを「ファイト・クラブ」のラストと見比べるとたいへんおもしろい。最後にマーク・ザッカーバーグが立っている場所は、「ファイト・クラブ」の主人公と同じ場所のように思えるから。そして同様に「ファイト・クラブ」のラストシーンも「ソーシャル・ネットワーク」のおかげでさらにおもしろくなったと思う。10年のときを経てまた新しいものに生まれ変わった、というと大げさすぎるかもしれないけれど、また「ファイト・クラブ」を観るときの楽しみが増えたことは確か。というわけでまた「ファイト・クラブ」観たい。明日観ちゃいそうだな。