ジェシー・ジェームズの暗殺

南北戦争後のアメリカに実在した伝説的アウトロージェシー・ジェームズとその周囲の人々を描いた映画「ジェシー・ジェームズの暗殺」を観ました。

160分と長尺で終始淡々としており、ナレーションを多用して物語を進めていくため、小説のような映画という印象を受けた。あまりナレーション(言葉)による説明が多いと、映画という表現である必要がなくなり「それなら小説でやればいいんじゃない?」と思ってしまったりすることもあるのだけど、この作品は小説的でありながらしかし映画表現としてたいへんに美しい作品でありました。ワンカット、ワンカットに非常に力を入れているのがわかる。どのシーンでも画がとても綺麗。風に吹かれてそよそよと動く草、両手ですくった水のきらめき、一面の雪景色などなど。個人的に一番ぐっときたのは、扉が閉まって室内に射し込む陽光が遮られ、部屋が真っ暗になっていく画。なんてことないシーンなのだけど、こういうところに映画の魅力は表れるものですね。息をのみました。音楽も派手さはないが端正で美しい。シンプルな旋律の繰り返しにしみじみ。

一方役者陣の生み出す空気はとてもピリピリしていました。どこか空虚で、孤独や憧れや劣等感などが入り交じり、何重にもねじれてしまっている。「愛憎」という言葉では単純すぎて捉えられないほど、複雑なホモソーシャル映画。彼らの関係はエロティックですらあります。特にジェシー・ジェームズ役のブラッド・ピット、彼に憧れるボブ役のケイシー・アフレック、ボブの兄・チャーリー役のサム・ロックウェルの演技は見事でした。ブラピの目の演技が怖い。英雄でありながら心を病み、疑い深くなってしまった孤独な男の空っぽな目。ブラピは本当にその目をしていた。ケイシー・アフレックは怪しい演技。ジェシーに心酔し彼を身と心の両方をもって感じとろうとする。ジェシーになろうとする。この二人の関係性は怪しく、エロティックで、恐怖すら感じる。ジェシーはボブに疑いの目を向けつつも、しかしボブを一番身近に感じていたのではなかろうか。この二人の演技に絶妙に絡んでくるのがサム・ロックウェルです。常に何かに怯えているような表情が素晴らしい。

この作品は少しドキュメンタリータッチなところがあって、一つの対象には寄らず引き気味に物語を綴っていきます。それも最初から一つの物語として全体を構成するというより、ワンシーン、ワンシーンを独立したものとして捉えながら、それを繋ぎあわせて徐々に登場人物の心理を浮かび上がらせていくような、そんな手法をとっていると思いました。そのため物語に明確な軸がなく、かなり終盤まで何を主題とした作品なのかよくわからないのだけど、ラスト15分あたりでこの作品が描きたかったことがパッとクリアになった気がした。描きたかったのは、「英雄」という存在(それは実在する一人の人間ではなく、姿形のない「英雄」という概念そのもの)に執着し翻弄されやがては飲み込まれてしまう男達の心理ではないかなと。それは英雄になろうとしてなれなかったボブだけでなく、ジェシーやチャーリーもそう。「英雄」を飲み込もうとして、逆に飲み込まれてしまうのだから、恐ろしい。それを160分かけてじっくりと見せていくこの作品は、心理的なホラーとも捉えられるなあと思いました。

先日観た「3時10分、決断のとき」同様に、この作品も南北戦争後のアメリカを舞台にしている。南北戦争というものがアメリカでどのように捉えられているかを、私は全く知らない。ジェシー・ジェームズは負けた南軍のゲリラ兵だったけれど、そのことにどれほどの意味があるのかはわからない。アメリカの方々はこの作品をどのように受け止めるんでしょうか。アメリカ映画を観るって想像以上に奥が深い。そういう意味でもおもしろい作品でした。

ジェシー・ジェームズの暗殺 [DVD]

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