17歳の肖像

ツイッターで予告していた通り、映画「17歳の肖像」について書きます。ただ、このことについて書きたいと思ってブログを開設(「17歳の肖像」がブログ開設のきっかけです)してからもう2週間近く経ってしまい、自分の中でも鮮度が落ちてきたのを感じているので、あまりいい文章は書けない気がします。ここで私が書くことは、レビューでも感想でも何でもなく、私がこの作品を観て考えたこと、いわば考察みたいなもんです。この作品を観たのはもう1か月以上前であるのに、未だにこの作品のことを思い出しては、ふと考え込んだりしてしまいます。それはこの作品の主人公と私の年齢が近いからかもしれません。その度に機会を見つけてはツイッターで言及してきたのですが、やっぱりツイッターだとつぶやきを連投することになってめんどうだし、ブクログに書こうかとも思ったのですが、今言ったように私が書きたいのはレビューではないのでブクログにアップするのは不適切かと思い、ブログ(日記)に書くことを思いつきました。

さて前置きはこれくらいにして、本題に入ります。以下盛大にネタバレします。


1961年、ロンドン郊外で両親と暮らす16歳のジェニーは、オックスフォード大学入学を目指して勉強に励んでいた。ある雨の日、ジェニーはデイヴィッドという大人の男性と出会い、音楽会や食事に誘われる。ジェニーの両親をうまく説得し、彼女を連れ出したデイヴィッドは、友人のダニーとその恋人ヘレンらと引き合わせ、ジェニーに大人の世界を教えて行く。だんだんと彼への恋を募らせていくジェニーだが、学校で噂になり…。

イギリスの女性ジャーナリスト、リン・バーバーの回想録「An Education」を映画化した本作。女子高生が16〜17歳という多感な時期に、大人の男性と初めての恋に落ちていく様子を描く。主人公のジェニーを演じたのは、撮影当時22歳の女優、キャリー・マリガン。その童顔と透明感のある佇まいで、無邪気な少女から憂いのある女性へ成長していく姿を見事に演じている。ジェニーと恋に落ちるデイヴィッドを演じたのはピーター・サースガード。少女を騙すあやしい男を、どこか一途さもある愛すべき魅力的なキャラクターに仕上げている。“スウィンギング・ロンドン”以前の60年代の閉塞感のあるイギリスがリアルに感じられる、ビターな青春物語だ。
(goo映画)

他の多くの方々と同様に、私も「17歳の肖像」は傑作だと思います。ポップなオープニングに、可愛らしい60年代ファッション、脚本も演技もよく、誠実で真摯な映画。でも観賞後、ひとつだけ不満に思ったことがあって、それがあのラストです。デイヴィッドと付き合うようになり大学進学に意味を感じなくなったジェニーが、しかし結局はデイヴィッドに裏切られ、元々志望していたオックスフォード大学に進学し、そして大学でできた恋人が「パリに行ってみたい。」と言ったのに対して、「私もよ。」と精一杯の嘘をついて終わるあのラスト。私はこの場面でちょっとがっくりきてしまいました。実際にはジェニーはパリに行ったことがあるのです。デイヴィッドに連れられて。しかし彼女はここで嘘をついて、彼女を裏切ったデイヴィッドとの経験を閉じ込めてなかったことにしようとしている、私は最初そう感じました。そもそも、デイヴィッドが実は結婚していてジェニーを騙していたのだとわっかてから、デイヴィッドは一度も作中に登場しません。確かにデイヴィッドはひどい男です。後半一度も登場しないのは、結局ジェニーにきちんと説明や謝罪をせずに逃げたからです。でも、それにしたってこの作品でのデイヴィッドの存在の消され方はすごい。いや、わかってはいるんだ。この作品はジェニーとデイヴィッドのラブストーリーじゃなく、つらい経験を乗り越え自立していくジェニーの青春映画だということは。しかしだからといって、今までの経験をすべてなかったことにして平然と大学生活を送ってしまうのは、何だかスタート地点に戻ってきちゃっただけのような気がして嫌だったのです。

しかし観賞した次の日、「いや、昨日の私の見解は違うんじゃないか、あれはとても誠実で意味あるラストなんじゃないか。」という考えがふと浮かんできました。さらにその1か月後くらいに、自分の中でこの思いつきにうまいこと説明をつけることができて、この見解の変化、心境の移り変わりについて文章を書いてみたいと思うようになりました。さあここからが核の部分です。ここまで長かったですね。たいしたこと書かないけど、まだまだ続きますよ。

私の元々の見解では、最初のジェニーと最後のジェニーは同じ位置、あるいはほとんど変わらない位置に戻ってきてしまったように感じられました。それは彼女が嘘をつき、元々進学を希望していたオックスフォードにそのまま通っているからです。しかし実際には、表面上の行動は最初の地点と変わらなくても、最後のジェニーはものすごく大きな成長を遂げているのです。彼女は本当の意味での教育を知った。

そもそも最初のジェニーは、オックスフォード志望といっても、その志望する理由をはっきりとは説明できなかったはずです。彼女は学校でも特に頭のいい子で、オックスフォードを狙える位置にいる、正直なところ理由はそれしかなかったでしょう。それは彼女の両親も同じで、それまでオックスフォードに絶対に合格しろと言わんばかりに、彼女の進学をプッシュしてきたのに、デイヴィッドがジェニーに結婚を申し込んだ途端、進学はしなくてもいいかもしれないと言い出す。そんなだから、ジェニーはすぐに進学の意味を見失ってしまいます。しかしそこで、ジェニーの学校のスタッブス先生は言うのです。
彼(デイヴィッド)はあなたの知性を尊重してる?
ちなみに本筋とは離れますが、私はこのスタッブス先生の言葉が大好きです。この場面で何故か突然泣いてしまいました。恋愛でも友情でも、相手が自分の知性を尊重してくれているかどうか、これをちゃんと理解しておくことはとても重要なことです。そしてこのことは、これから書くことにも繋がってきます。

ジェニーはこの言葉の意味を真に理解することができず、先生はいつも事務的に仕事をこなしているだけだ、大学に進学してもその後こんな事務的な仕事をこなす毎日しか待っていないなら大学進学に何の意味があるのか、こう言ってついに学校をやめてしまいます。しかしその後、デイヴィッドがジェニーを騙していたことが発覚し、デイヴィッドとの結婚ももちろんなくなって行き場を失ったジェニーが向かったのは、スタッブス先生のところでした。これがこの作品で一番いいシーンですね。スタッブス先生というのは、観賞済みの方はわかると思いますが、地味な見た目ですよね。確かにジェニーが、事務的な仕事をこなすだけの先生と言うのもわかる。しかし実際のスタッブス先生というのは、教養のある魅力的な女性なのです。そのことがここになってようやくわかる、これはそういう場面。そしてジェニーはここで、教育を受ける本当の意味を知ります。自分の力で立って生きていくには、特に60年代という時代で女性が自立していくためには、教育が必要だ、と。デイヴィッドとの交際は一見近道のように感じられます。確かに周りの人たちからも憧れられるでしょう。学歴があればいいというわけじゃない、それももちろんその通りです。しかし、大学に行って教養を身につけ卒業して、自分の足で歩いていける仕事を得ることは、本当に大切なことです。特にこの作品では、主人公が女性であり、結婚を切り出された後進学の意味をはっきり答えられないという場面もあることから、教育を受けることが自立した(束縛されない、振り回されない)生活を送るために重要であるということを伝える作品であるとわかります。そこで、なるほど原題は「An Education」。そういう内容であるのは当たり前っちゃ当たり前なのかもしれません。私もこの作品が教育にまつわる話だというのは最初からわかっていたんだけれど、観賞直後は真に理解はしてなかったようです。しかし時間を経るごとに新たな見解が生まれ、この作品をより好きになった。私がここで書きたかったのはこれです。この作品の解釈はこれが正しいとか、こんな解釈見つけたよってことじゃなくて、自分の中で新たな見識が広がっていった、映画鑑賞からその後作品を振り返って味わうまでの、この経験全体のことを書きたかったのです。だからこれはレビューではないんです。

最後に問題のラストについて。本音を言うと、やっぱりあの場面で嘘をつく必要はないと思うんだけど、あのときのジェニーにとっては一番誠実な対応であったのだと思います。「高校生でパリに行ったこと」、それを彼女は自慢しなかったのだから。また彼女自身、裏切りを乗り越えて勝利をつかんだばかりであって、デイヴィッドのことはまだきちんと対象化されていなかったのかもしれません。だからデイヴィッドとの思い出も消してしまった。そしてこの作品の基となった回想録の作者は、現在こうして作品としてかつての経験を紹介しているわけで、時間が経って自分の中で経験がしっかり消化/昇華された今なら書けるということなのかな、とも思います。つまり私が最初感じたようにデイヴィッドとの思い出を全くなかったことにしたわけじゃないんですよね。ジェニーは元に戻ってきてしまっただけなのではなく、内側の部分でとても大きな成長をしている。彼女はこれから自分の足で強く生きていくんだと思います。そしてこの作品を高校時代にみることができた私はとても幸せなのだと思います。ジェニーのように、実際に辛い体験をして自分の力で生きていく重要性に気づく人は少ない。でもこの作品を観れば、教育を受ける意味を知ることができる。ただ教育が大事だと言われるよりも、ずっと身にしみてくる。これが映画の、というかあらゆる文化のいいところ、大切なところで、だから私は文化に触れるのが好きなんだなーと思いました。そしてその文化の魅力を伝えていくために、また教育が重要なのですよね。

以上、「17歳の肖像」と教育にまつわる考察おわり。ここまで長かったけど読んでくださった方ありがとうございました。