グッバイ、レーニン!/イカとクジラ

良作と評判の家族映画2本を観賞。

グッバイ、レーニン!

東西統一前後のドイツが舞台。

意識を失っている数ヵ月の間に東西ドイツが統一してしまったことを知らない熱心な共産主義者の母に事実を知られまいと奔走する家族のお話――ということで、なぜか私の頭の中では、地域ぐるみで嘘をついてお母さんを気づかって……という人と人とのつながりの暖かさを感じさせてくれるハートフルコメディの妄想ができあがっていたのだが、実際はもっと孤独で、哀しくて、それでも暗くはならない軽やかさをもった作品だった。

しかしまあそれも考えてみれば至極当然のことというか、共産主義体制が終焉し資本主義経済の波が一気に流れ込んできた旧東ドイツにおいて旧来の「コミュニティ」というものはほとんど機能していなかっただろうし、その波から取り残された人々のことなど目もくれずに世界は進行していったわけで(通貨交換の期限を過ぎればお金はただの紙くずになるのです)、そんな中で「ここは東ドイツですよ」と嘘をつくのはものすごく孤独な闘いであるに決まってる。これはそのように、これまでの価値観やシステムが一変する中でその変化についていくことができなかった人間たちの映画なんだな。ここに出てくる旧東側の人々はみんな疲れていている。

資本主義経済がもたらしたのは豊かさだけでなく、旧来のコミュニティの崩壊であったり疲弊であったり、決していいものはがりではないのは当然のことで、それは波に乗っかれなかった人間だけのものではないのだけれど、渦の中心にいるときはどうしたってそうしたことは見えにくい。本作の主人公アレックスは「母に嘘をつかなくちゃならない」という特殊な状況にいることで狂騒の渦の外に取り残されてしまい、新しい社会の華やかでない寂しい面を見つめざるを得なくなる。そうでなかったらきっと彼は資本主義の恩恵を受け、狂騒の世界に飛び込んでいただろう。そんな「たまたま」波に乗ることができなかった青年の目を通して描かれる現実。ほんのちょっとした状況の違いがすべてを決めてしまいかねない。

想像していたほど「コミカル」というかんじではなかったのだけれど、コメディリリーフ的に登場するアレックスの西ドイツ側からの友だちと、彼とニセ国営放送番組作るときのリズミカルな演出編集が、決して扱うテーマは軽くない本作を重苦しくしていなくてよかった。



イカとクジラ

離婚した両親とその間を行ったり来たりする二人の息子の家族映画。長男役にジェシー・アイゼンバーグくん。

両親が大人げなくて痛々しくて腹立つなんて感想も聞いていたし、家族ものは自分の家族観を基準に観てしまうから当たりハズレが大きいのだよなーと思っていたが、思いのほか飲み込みやすく楽しんで観られた。というか、子どもたちのパートがまっとうな成長物語になっていたのでよかった。

長男は読んだこともない本の批評をベラベラ語ったり、次男は小学生なのに酒を飲んだりするのだけれど、これは両親の離婚のせいで嘘つきになったとかグレたなんてことではなくて、思春期の子ども特有の行為で、成長の過程の一つ。もちろん、親の大人げなさが子どもたちの行動にまったく影響していないわけじゃないだろうけども、どこの家族にだって少なからず問題はあり、子どもはそれを自分なりに消化しながら少しずつ答えを出していく。その点が漏れずに描かれているのが嬉しいし、「子どもの変化に気づけない親」を非難することなく、ただその可笑しくて哀しい様をありのままに描くのもフェアだ。

自分のことが見えない大人二人とその間で混乱しつつも成長していく子どもたちが対比され、前者の物語から後者の物語へとゆるやかに移行することで最後には仄かな希望が。特に、セラピストとのやりとりからジェシーくん演じる長男が「尊敬する父」の像を解体していく描写は鮮やかだった。ジェシーくん、むすっとした表情とちらちら動く目で思春期特有のめんどくささを捉えていて、やはりうまい。

とても細やかなつくりの脚本もよかった。わずか数プレーで家族の軋轢が明らかになる冒頭のテニスシーン、「駐車スペースが……」に対する反応の違いで長男と次男の父への尊敬の度合いを示す車上の場面、とことん存在感の薄い猫など、さりげなくも巧みな描写がいろいろ。痛々しいんだけど笑える。いや、自分自身を省みるとやっぱり笑えない。そんな絶妙の線をついてくる。

それにしてもピンク・フロイドの「ザ・ウォール」ってアメリカで超売れたんだよね。さすがにその場で気づく人いるよね。(何のことを言っているかは観ればわりますです)