ブラック・スワン

確かにすごい映画だったけど、最初から最後まで違和感が拭えなくてまったくノレなかった。事前にツイッター等で聞いていた批判的な指摘がすべて頷けた。

公開直後の熱が冷め、レビューも出揃っている状況なので、そんなに言うことないかなあと思ってしまったりもするんだけど、簡単に書いてまとめてみる。今回はネタバレします。



やっぱり一番気になったのは、そこかしこで顔を出すマチズモでした。バレエとか女の世界とか「少女から大人の女になる」こととかに対するマッチョな見方が凄まじかった。作品の根幹にあるマチズモがすべての違和感の源泉。

例えばバレエ関係者からの評判の悪さについて。私はバレエ経験者じゃないし、演目を観たこともないんだけれど、ここで描かれるバレエが芸術としてのバレエではないということはすぐにわかった。確かにこれは「バレエ映画」ではないし、必ずしもバレエを正しく描けている必要はない。けれども、主人公がバレリーナであり、バレエという表現をものにしようともがく話である以上、もう少しバレエへの興味・理解があってもいいのではないか。クライマックスで主人公ニナは、彼女の妄想ではなく周囲から見ても素晴らしい躍りを披露しているわけで(観客の歓声、振り付け師の称賛)、それなのに映画としてはバレエという表現を描けていないというのはおかしくないかなと思う。これがニナの完全な妄想であるというならわかるけども、さすがにそういう構造にはなっていなかったですよね。

かわりにこの作品で描かれるバレエというのは「女の怖い世界」としてのバレエ。こんな世界に囚われていることがニナにとっての悲劇であるということなんだろうけど、こういう「女の世界」を作り上げたマッチョな考えには首をかしげる。そしてそれを「バレエ界」に設定してしまったことで、バレエ関係者から評判が悪くなってしまったのは当然のことのような気がする。本当のバレエ界とはかけ離れてしまっているのだから(海外のバレエ界は普通に自由みたいですよ)。

あと、少女から大人の女になるってそういうことじゃないですよねというのはしっかり主張しておきたい。母から自立するってそういうことじゃないですよね。そういうことじゃないのに、そうだと思ってしまうニナの悲劇、ということであれば、最後までニナの妄想で終わる必要があると思う。ニナがああした世界に閉じ込められていることとプリマとしての役割を果たしたこととは矛盾してしまうんじゃないだろうか。あるいは、ニナがあの世界でプリマとして成長したというのであれば、それは絶対違う。少女の成長ってそういうことじゃない。絶対に。

(後ほどつづきを書くかも)