生存報告と「ロンドン・ブルバード‐LAST BODYGUAR‐」メモ

この何日かブログからもツイッターからも姿を消していましたが、ちゃんと生きております。エッセイの提出期間になるとどうしても他のことができなくるよね……。

今日はひっさしぶりに映画を観賞。観たのは、以前原作を読んだときに映画版も観たいと書いた、「ロンドン・ブルバード‐LAST BODYGUARD‐」。原作からして物語云々よりもグルーヴ重視のサンプリング小説だったから、映画も脚本の完成度は抜きにして小気味よくサラリと楽しめればいいなーと軽い気持ちで観たんだけど、あれ、さすがにこれじゃ話はしょりすぎでわけわからなくないか……。原作からちょこちょこと話をかいつまんで繋げるだけでは、物語は成立しないし、グルーヴも生まれない。ストーリー重視ではないとはいえ、ここまではしょると何やってんのかよくわからんですよね。

もちろん、原作とまったく同じ内容ではなくて、主人公の働く屋敷の女主人が往年の舞台役者から、若くして引退した女優に、という大きな改変もあるのだが、その改変点が物語に効果的に作用しているかというと、うーむ……。そもそも「ロンドン・ブルバード」(London Boulevard)というお話はあの名作映画(タイトルを見ればわかるはず)をネタとして大胆に使い、それをロンドン風味に味付けているところに魅力があるわけで、その引用部分に改変を加えるとまったく別物の作品になる。それが悪いわけではないが、そのことによって原作とは違う光が当てられ新たな魅力が付与されていると言えるほど、作り込まれてはいなかった。

とはいえ、コリン・ファレルの色気を初めて理解できたり(なんとなく食わず嫌い的な俳優さんでした)、イギリス映画でのスティーブン・グレアムとの遭遇率の高さに笑ったり、さりげなくガイ・リッチー組が多く出演しているのに喜んだりして、決して退屈したわけではなかった。ブツ切れのシーンの繋ぎ方は、短文をリズムよく刻んでいく原作にも通じる気持ちのよさがありました。